「夢を叶えるために脳はある」(池谷裕二:著、講談社)は、サブタイトルに『「私という現象」、高校生と脳を語り尽くす』とあるように、高校生脳講義シリーズ三部作の完結編である。(私自身は前2作をまだ読んでいないのだが・・・)高校生向けなので難しいことをかみ砕いて丁寧に解説しているのが有難い。
本書を読むと、今まで当たり前と考えていたことや、漠然と認識していたことが「本当にそうなのか」と気付かされる。
逆転の発想や、新しい視点が提示されていて、私自身の認識を改める点が多々あった。
本書のなかから幾つかのテーマを紹介する。
「『自然は美しい数式で表せられるはずだ』という考え方はもはや時代遅れだ。ヒトの認知限界が科学の自由な進展を妨げた、という見方もできる」
少々分りづらく逆説的にみえるが、これはヒトの認知機能や脳の働きの限界を言っている。
ヒトは、「ヒトの脳でも手が届きそうな対象に恣意的に焦点を絞り、その範囲のなかで一定のルールを見出してきた」
「科学とは自然の摂理を、ヒトの脳に理解可能な言葉に翻訳することだ」
との指摘である。
人が発見した自然界の理論とよばれるものは、ヒトが認識でき、ヒトの脳が理解できる範囲で見出してきたものに過ぎない。
ヒトが認識できないモノや、一定のルールが見出せないものに対して、ヒトはお手上げである。
宇宙の話や物理学の話を、素人にも分かりやすく解説した本を読むと、「宇宙は何らかの数式で表せる」と考えている科学者が多いことに気付く。
しかし、本書の指摘だとこのような考えは怪しく見えてくる。
自然界には(あるいは宇宙には)暗黒物質のような、ヒトが直接観測できないものが多く存在するのかもしれない。さらに、ヒトの脳には理解不能なルールのようなもの(数式では表現できない事象)が存在するのかもしれない。
一定のルールが見出せないものの例として、本書ではルービックキューブが紹介されている。ルービックキューブの解法には一貫性がないらしく、コンピュータが総当たりで解いたところ、最大20手で解けることが判明したそうだ。
コンピュータならではの力技である。
同じく、「4色問題(4色定理)」というのもコンピュータが力業で証明したそうだ。
「時間とは何か」という問いも多くの書籍(素人向けの解説書)がとりあげているテーマである。その中で、決まって登場するのがエントロピー増大則(熱力学の第二法則)だろう。
本書では、「エントロピー増大則は、時間が一方通行であるという事実を後付け的に説明するための不毛なトートロジーだ」とすげない。
本書では時間(過去から未来に流れる心理的な時間)について、
「僕らが時間を感じられるのは記憶があるからだ」と説明している。
確かに過去の記憶がなければ時間の流れを感じることはできないだろう。「時間とは何か」という問いは未解決の課題だと思うので、ここではこれ以上深入りしない。
「時間とは何か」と同じく未解決の課題に「心とは何か(あるいは心はどのようにして生じるのか)」がある。
この厄介な問題に関しても多くの解説書が出ている。大雑把に分類すると、「心は脳にある(脳から生じる)」という考えと、「心はヒトと環境との相互作用」から生じるという考えがあるようだ。
著者は多くの脳科学者と同じく前者の立場である。
脳の働きで心が生じるとしたら、「演算から心は生まれないのか」がこの疑問の本質だという。これは、ヒトの脳神経細胞をモデルにした深層学習(というコンピュータ=演算装置)を指している。
意外だったのが、「生命は動的非平衡だ。動的平衡ではない」という指摘である。動的平衡とは死を意味する言葉らしい。
本書にはAI(人工知能、主に機械学習や深層学習と呼ばれるもの)の説明や、ヒトの脳とAIを融合させる「脳AI融合プロジェクト」という壮大なテーマも登場する。
私自身は、「AIは言葉の意味を理解できるか」という設問が気になっている。
本書にもこれに関連した言及がいくつかみられるが、やはりはっきりしない。
「意味を理解するとは何か」という定義自体の問題もあるだろうが、もしかして、今のAIでも意味を理解している可能性があるのだろうか?
「世にもあいまいなことばの秘密」(川添愛:著、ちくまプリマー新書)には次の指摘がある。
「私たちが発する言葉のほとんどは曖昧で、複数の解釈を持ちます。しかし、私たちはそのことに気がつかず、自分の頭に最初に浮かんだものを『たった一つの正しい解釈』と思い込む傾向があります」
「曖昧さは言葉についてまわる宿命だ」と指摘している。
そうだとすると、ヒトは前後の文脈から意味らしきものを汲み取っていることになる。これは、AIがある単語(および文)について、文章の前後関係を含めて意味らしきものを抽出している行為に、似ていなくもない・・・。 |
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