「シン読解力」(新井紀子:著、東洋経済新報社)の概要と感想を以下に記します。
最初に「シン読解力」とは、著者の造語であり、「教科書を読む力」(知識や情報を伝達する目的で書かれた自己完結的な文書を「自力で読み解ける力」)のことである。 「シン読解力」を養うことで「自力で学び続けられるスキル」が身に付く。 「シン」という接頭辞は(多分)、「シン・仮面ライダー」や「シン・ウルトラマン」などと同じノリなのだろう。 著者によれば、一般的な「読解力」と区別するためにこの造語を作った、とのこと。
今年(2025年)7月14日のNHKニュース記事によれば、今年の「全国学力テスト」の結果が公表され、小中学生ともに、思考力や表現力などを問う「記述式」の問題で平均正答率が低くなる傾向があった。 本書にもこれと似た内容が書かれている。算数の計算問題は解けても、記述式の問題で躓く生徒がかなりいるようだ。 これは、問題文を正しく読み取る力が不足しているためであり、著者が言うところの「シン読解力」のスキルが不足している可能性が高い。 なお、この問題は小中学生に限った話ではない。高校生でも、あるいは成人でもこのスキルが不足している人は多くいるようだ。私自身も本書に書かれているRSTの問題で躓く部分があったから人ごとではない。
RSTは「シン読解力」の能力値を計測するための試験で、RSTの能力値と学力には強い相関関係があるそうだ。 私たちは、読解力を高めるためには多くの書物を読めば良い(読書量を増やせば良い)と考えがちだが、これも正しくはないようだ。この点について著者は、「生活言語」と「学習言語」の違いとして説明している。 さらに、学習言語は教科の数だけあるかもしれないという。 この点は少し分りづらいかもしれない。私たち大人でも、普段の仕事や生活のなかで馴染みがない分野の文書にはとっつきにくさを感じることがある。一つは語彙の違いであるが、本質的には日本語の用法の違いがあると思う。 分かりやすい例では、法律の分野では「または」と「もしくは」を区別することが挙げられる。生活言語では「または」と「もしくは」はほぼ同義であるが、法律用語ではこれを区別している。従って、区別して使われていることを意識していないと、内容を誤って理解することにもなりかねない。 語彙と概念の違いという観点では、会計と税務での用語の違いが挙げられる。税務で使う所得という用語(概念)は会計でいうところの利益に近い。また、会計でいう費用は税務でいう損金に近いが、厳密には異なる。 著者によれば、社会科の文章には連用中止法が多いそうだ。
本書の著者は、東大合格レベルを目指すAIの開発リーダーとしても有名だ。 本書にもAIに関する話題がいくつか出ている。このなかでも特筆すべきは、「外れ値の罠」だろう。 現状のAI(ニューラルネットワーク)は、言葉の意味を理解せず、膨大な情報の統計から判断を下すので、外れ値の罠に陥りやすい。確率と統計に依存する限り外れ値は残り続ける。 従って、現在の技術の延長線上にシンギュラリティは訪れないし、レベル5の自動運転は実現できない、というのが著者の考えである。 素人考えでもレベル5の自動運転は難しそうだ。自動車事故にはいくつかのパターンがありそうだが、なかにはめったに起きない事象(外れ値)があると想像できる。 よく話題に上るハルシネーションについても、面白い例が載っている。チャットGPT(GPT-4o)に「9.11と9.9とでは、どちらが大きいですか?」と質問すると、チャットGPTは「9.11」のほうが大きいと答えるらしい。さらに、チャットGPTがこの答えについてもっともらしい理由を述べているところが面白い。 現状のAIには上記のような限界があるが、現状の問題点を克服する新しい技術(AIの新しい実現手法)が現れる可能性はあるだろう(しかし、それがいつ現れるのか、その時期を予測することは不可能だろう)。 著者が指摘しているように、私たちは現状のAIの欠点を理解したうえで、上手に使いこなすスキルを養う必要がある。 最後になってしまったが、「シン読解力」(教科書を読み解く力)はスキルであり、各自がそのスキルを高めるためのトレーニングが用意されている。
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