2012年12月~翌年3月、白隠展が開催され、白隠禅師の味わい深い絵画が展示された。デフォルメの仕方や色使いが秀逸で、今日の漫画の原点のような趣もあった。
白隠禅師は、絵画だけでなく幾つかの著作を残している。
高山峻著「白隠禅師 夜船閑話」は、白隠禅師が著した「夜船閑話」の解説本である。
高山峻氏は、東洋医学と西洋医学、さらには哲学にも通じた医師のようであるが、Webで検索してもあまり情報が得られず、経歴などの詳細は良く分からない。白隠禅師が生まれたのは、貞享2年(1685年)のクリスマスである。
幼時はあまり健康ではなかったようで、3歳になって初めて立ったことから、発育に何らかの欠陥があったのではないかというのが高山峻氏の見立てである。
しかしながら、26歳の時に内観の法で大病(精神衰弱を伴う肺結核、あるいは肋膜炎らしい)を克服してからは、内観の法の実践により病を寄せ付けず、84歳の長寿を保った。
白隠禅師の著作は、絵画と同じく、晩年に集中しており、「夜船閑話」は禅師73歳の時の著作である。
「夜船閑話」は、内観法とその功徳について書かれた本であるが、今日のハウツー本のように内観法のやり方や手順が事細かに書かれている、という訳ではない。
従って、本書だけを頼りに内観法を実践するのは無理と思われ、もし実践するのであれば、しかるべき師について指導を仰ぐべきかと思う。
内観法の考え方は、おおよそ以下のようなものである。
まず「気」というものを理解、乃至は体得する必要がある。
「気」とは「元気」のことであり、天地万物を生成するものである。人間も天地万物の構成要素であるから、人間の中にも「気」がある。「病気」というのは、この「気」が「病んでいる」状態である。養生の道は、まず気を整えること、即ち、気を減らさないことと、気を塞がないことが肝要である。
そのためには、気を丹田(臍下三寸)に納め、呼吸を鎮めて荒くせず、事にありては胸中より微気をしばしば口に吐き出して、胸中に気を集めず、もっぱら丹田に集めるようにする。
息法については、摩訶止観に記載されているという、12種類の息法に触れているが、仔細は書かれていない。
高山峻氏によれば、肺病の場合、いわゆる深呼吸は良くないとのこと。
身を正しく仰臥し、足を充分に伸ばし、目を閉じ、手を握り固め、両足間を5寸開け、両肘と身体の間も5寸開け、静かに呼吸するのが良い。
さて、高山峻氏の主張は、西洋医学と東洋医学の相互補完である。
西洋医学は、科学的である反面、精神面(先に記載した「気」に通じる)が弱い。
「気」は科学的に証明できないから西洋医学ではまともに扱われないが、これを積極的に取り入れて、精神面・心的側面を補完すべき、とのことである。
病気になると、病にとらわれ、病に押され、時に神経衰弱に陥ることさえあることから、精神面、心的側面からの治療を併用する必要がある、とのことである。
患者に、病気を治癒しようとする意欲や、医師に対する信頼が無ければ治療は功を奏さない。
本書には、貝原益軒の養生訓を引用しつつ、
「栄養過剰より来る病気は、栄養不足より来る病気より遥かに重態で、しかも治療しがたいものである」
との記載がある。
メタボや成人病が騒がれている昨今の日本人の健康事情にも符合している。 |