グローバル人材とは
最近グローバル人材という言葉をよく耳にし、目にする。 国内需要が縮小ているため、海外市場に進出する企業が今後とも増加するであろうこと、より安価な労働力を求めて海外に現地工場を置く企業が増えていることなどが背景にある。 海外で現地の従業員や関係者とコミュニケーションできる能力、リーダーシップを発揮できる能力が求められているのであろう。 しかしながら、異なる言語や文化的背景を持つ人たちとコミュニケーションする、というのは簡単なことではないと想像できる。 例えば、欧米の文化や思想の背景にはキリスト教があるというが、キリスト教を正しく理解している日本人は少ないと思われる。(正確に言うと、アメリカのゴッドの概念は、また別物だということも聞いたことがある) かくいう私もキリスト教のことは良く分からない。 そもそも、日本の文化の背景にある禅思想や儒教思想でさえ、これを理解している日本人というのは少ないと思われる。いはんや、キリスト教をや、である。 さて、なぜキリスト教が理解出来ないか、ということであるが、山本七平著「聖書の常識」によれば、キリスト教の根本は神との契約(神との上下契約)、およびこの契約書(律法:トーラー)であり、これが日本人にはない概念だからである。 日本には唯一絶対神という考えがなく、ましてや神と契約を結ぶなどとという考え方は存在しなかった。従って、理解できない、というより、正確に言えば腹に落ちてこない、というべきかもしれない。 このような文化の違いはキリスト教に限らない。旧約聖書は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に共通の律法(トーラー)である。また、中東においては、宗教とは国籍であり、法律であり、同時にその人の生活規範であるという。 こうしてみると、日本とは異なる文化的、思想的背景を踏まえたうえで、外国の人とコミュニケーションするというのは、困難この上ないことと想像できる。 では、これからはグローバル人材でないとダメなのか? (この問い掛け以前に、グローバル人材とはどのようなスキルを有する人材なのか、定義を正確にする必要がありそうだが・・・) 国境を越えて市場主義経済が発展し(暴走し?)、企業間競争がグローバル化しているのは、主に大量生産を前提としたモノである。従って、技術的に少量しか生産できないモノや、地域や文化に根ざしたモノやサービスは、生き残っていくと考えられる。 むしろ、より安く、より大量に生産し、市場を拡大し続けなければならないビジネスモデルは、いずれは破綻するのではないだろうか。 よって、英語も不得手、西洋文化にも疎い私としては、もっと日本のことを学ぶべきだと考えている(というか逃げることにする。逃げるが勝ち。)・・・・。 |