江戸五色不動の1つ目白不動尊(豊島区高田)から、もう1つの目赤不動尊(文京区本駒込)までを歩く。
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①高田総鎮守 氷川神社
高田総鎮守氷川神社の創建は、平安時代の貞観年間(859年~877年)と伝えられている。
「江戸名所図会」には高田村周辺の様子が描かれており、氷川神社や近くの南蔵院なども描かれている。路の曲がり方や神社の配置は今とほとんど変わりないそうである。 |
②目白不動尊(神霊山金乗院慈眼寺)
天正年間(1573~1592)の創建で、のちに護国寺の末寺となる。
目白不動は、もとは関口駒井町(文京区)に在ったが、昭和20年の戦災でここ金乗院に合併され、本尊の目白不動明王像もここに移設された。 |
目白不動尊 |
③雑司ヶ谷 鬼子母神
都電荒川線を越え、ケヤキ並木の参道を歩いて鬼子母神にお参り。境内の大いちょうは樹齢700年と言われている。
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④日本女子大学
日本女子大学の敷地内にあるこの木造の古民家は、かつて大学創立者の住居だったという。日本女子大学の脇の道は幽霊坂と呼ばれている。
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⑤護国寺
天和元年(1681年)5代将軍徳川綱吉が、生母桂昌院の願いにより創建した祈願寺である。
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⑥縛られ地蔵(林泉寺)
願いをかけるときには地蔵尊を縄で縛り、願いが叶うと縄をほどく。このことから縛られ地蔵(または、縛り地蔵)と呼ばれる。
小日向の林泉寺に在る。 |
⑦旧東京医学校本館
文京区白山の小石川植物園内に在る、木造2階建ての擬洋風建築物。国の重要文化財に指定されている。
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旧東京医学校本館のテラスからは、小石川植物園の池や木々を見渡すことが出きる。落ち着いた眺めにほっと一息つく。 |
⑧白山神社
天暦年間(947~957)に加賀一宮白山神社を現在の本郷一丁目の地に勧請したのが始まり。その後明暦元年(1655)に現在の地に移転したと伝えられている。 |
⑨目赤不動 (大聖山 南谷寺)
元和年間(1615~24)万行和尚が伊勢国赤目山で、不動明王像を授けられ、駒込村の動坂に庵を開き赤目不動と号したのが始まりと言われている。
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三代将軍徳川家光より、それまで「赤目不動」と呼ばれていたものを、目黒不動・目白不動に並ぶ「目赤不動」と呼ぶよう言われ、現在の呼称になったとのこと。
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⑩吉祥寺
もとは、江戸本郷元町(現在の水道橋駅付近)にあったが、明暦の大火(1657)で類焼したため、現在地に移設された。
明暦の大火では吉祥寺の門前町も被害にあい、門前町の住人の一部が五日市街道沿いを開発、移住した。武蔵野市にある吉祥寺の名前の由来がここにある。 |
吉祥寺の広い境内の一画には大仏も御座します。
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循環バスめぐりん(千駄木よみせ通り)
吉祥寺を後に、帰りは千駄木をとおり日暮里へ。 |
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