イルカ漁批判とグローバリズムと文化の差異と

駐日米大使がイルカの追い込み漁を非人道的と批判したことに端を発し、いろいろな論点からの意見が出ているようだ。
主な論点としては、文化の違い、動物の権利、区別(差別)と平等、といったところか。
日本と欧米とで意見が対立する原因は、やはり「文化の違い」が大きいと思われる。

日本には古来より、神は万物に宿るという考えがあった。
その後、中国、韓国を経由して、儒教思想や老荘思想、さらには仏教思想が日本の思想や文化に取り込まれていった。
インドから中国に伝わった仏教は、中国で独自の発展を遂げている。
禅の有名な公安に「狗子に還って仏性有りや無しや(犬にも仏性はあるのでしょうか?)」というのがある。
人間はもとより、犬や猫などの動物にも仏性があると考えられるようになった。
この考え方をさらに推し進めた結果、山川や草木にも仏性があると考えられるようになった。
ここで、仏性と称しているのは特別なものではない。宇宙を在らしめている法則のようなもの(理法)とされている。
別の表現をすれば、宇宙を構成する要素として人間だけが特別な存在ではない、生きとし生けるものはすべて平等(同じ)である、という考え方である。
万物同根という考え方もこれに類似していると思われる。
このような思想背景があるから、動物の中でイルカだけが特別な存在とは考えない。
理法に支えられて存在しているものとして、人間も、イルカも、他の動物も同じというわけである。

一方、欧米の文化はキリスト教に根差している。
私はキリスト教について詳しくはないが、少なくとも神と人間は対等ではないはずである。人間は神の下におかれている。
同様に、人間と動物も対等ではない。動物は人間の下に置かれている。
このような思想背景があるから、動物の中をさらに分類して、人間に近い知性をもつものとそうでないものを区別する、という発想は比較的自然な考え方だと思われる。

さて、非人道的との批判に対する反論として、「家畜を殺して食することと、イルカを殺して食することでは何が違うのか」、という指摘がある。人間は基本的に他の生命を殺し、そして食して生きているわけだから、個人的には先の指摘は尤もだと思うのだが、ここで考えなければならない点が1つある。
それは、「現代社会は、人間が他の生命を殺して食して生きているという事実を隠そうとする傾向がある」という点である。
スーパーに行くと食品トレーに載った豚肉や牛肉、鶏肉などが売られている。毎日のように目にする光景だが、これらの食肉が加工されて食品トレーに載るまでには、家畜を屠殺して解体するという過程が存在している。
しかし、私たちの多くは、屠場で家畜がどのようにして殺され、どのように解体されるのかを良く知らない。
それは、これらの工程が隠されているからである。
このあたりの事情は、「屠場文化―語られなかった世界 桜井 厚/岸 衛」に詳しい。
すなわち、家畜の場合は屠殺する工程が隠蔽されているのに対して、イルカ漁の場合は隠蔽されていない、という違いがある。残酷さを見せる/見せない、という点でこの違いは大きいのではないか。
(念のため、残酷さを隠すことが良いと言っているわけではない)

最後に文化の違いとグローバル化について考えてみたい。
グローバル人材の定義には、「世界的競争と共生が進む現代社会において、日本人としてのアイデンティティを持ちながら、広い視野に立って培われる教養と専門性、異なる言語、文化、価値を乗り越えて関係を構築するためのコミュニケーション能力と協調性、新しい価値を創造する能力、次世代までも視野に入れた社会貢献の意識を持った人間」とある。
この定義には明確に、「異なる文化や価値を乗り越えて」と書かれている。
しかし、現実には異なる文化を乗り越えるのではなく、特定の価値観を押しつけている面が大きい。
「2052 今後40年のグローバル予測」にもあるように、グローバル化の進展によって文化の多様性が失われつつある。
世界の人口の半分は25の言語の何れかを話し、残りの半分が話す言語は7,000種類もある。
グローバル・スタンダードという名のもと、文化や価値観も統一される方向にあるのだろうか。


(脚注)
「趙州和尚、ちなみに僧問う、狗子に還って仏性ありや、また無しや。州いわく、無。」

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