柳宗悦「南無阿弥陀仏」
柳宗悦は、民芸(民衆的工芸)の研究で知られる。民芸という新しい美の概念の普及と「美の生活化」を目指す民藝運動を起こし、その拠点として1936年(昭和11年)に日本民藝館を設立した。
本書を読む前、民芸と浄土思想にいかなる関係があるのか、少々不思議に思ったが、本書の「因縁」の章を読んで理解できた。民芸と浄土思想の共通点について、詳細は本書を読んで頂くしかないが、簡単に言えば、どちらも一般民衆・凡夫に関わるものであり、本当に美しい工芸品は「無名の人」が「他力」によって作るものに多いというところにある。民芸に潜むいろいろの謎(不可思議)を解くカギが浄土思想にあるということである。
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著者は「趣旨」の中で本書の目的を3つ上げている。 第1は、南無阿弥陀仏の6文字の名号(称名)の意味を、特に若い人たちに知ってもらいたいとの趣旨である。 第2は、日本の浄土思想における一遍上人の位置づけを、もっと見直すべきであるとの主張である。 第3は、自力門と他力門が最終的にはひとつに結ばれるものであるという主張である。 本書の中心テーマは表題から明らかなように浄土思想であるが、第3の目的にもあるように、著者は禅思想(自力門)についても豊富な知識を有する。実際、鈴木大拙は、柳宗悦が旧制学習院高等科在学中の英語教師であり、生涯交流が続いたという。しかし、本書の中では「近時鎌倉仏教の偉大性を明らかにされた鈴木大拙博士の名著『日本的霊性』にも一遍上人は登場せぬ。禅的な立場からも特に論ぜられるべきだと思える上人のことに触れていないのは何故であろうか」といささか手厳しい評価だ。 第2の目的にもあるように、浄土思想における一遍上人の位置づけを見直した点が、柳宗悦の大きな功績といえるようだ。
従来、浄土思想に関しては、法然と親鸞の両聖人を代表にあげ、親鸞にその最後の発展を見る、というのが常であった。しかし著者は、「私は法然より親鸞に、親鸞より一遍へと浄土の法門が進展していくその足跡を見守ってきたのである」と記している。 では何故今まで一遍上人はあまり注目されてこなかったのか? それには幾つかの理由がある。 先ず、時宗には拠るべき本典がないことがあげられる。一遍上人は6文字の称名に徹したため、上人が書き残した文書はほとんど残っていないとのことである。つまり南無阿弥陀仏の名号や、それに関連する思想背景に説明を加えることは蛇足に過ぎない、上人は念仏に専念することだけに徹したからである。 今ひとつの理由は、時宗のすべての上人たちは遊行僧として寺を去る習わしがあったからである。 一遍上人は「僧を棄て、寺を棄て、俗を棄て、衣を棄て、食を棄て、身を棄て、心を棄て、一切を独一なる名号に捧げつくした」のである。このような事情から、時宗の寺院は日本全土でわずか四百カ寺を擁するに過ぎないそうである。実際のところ、東京を散策していても時宗の寺院にはめったにお目にかからないと感じる。 浄土思想が、法然上人から親鸞上人へ、そして一遍上人へと発展したとする根拠を、本書から少しばかり抜粋する。
「法然上人はいう、人が仏を念ずれば、仏もまた人を念じ給うと。 親鸞聖人はいう、人が仏を念ぜずとも、仏は人を念じ給うと。 しかるに一遍上人はいう、それは仏が仏を念じているのであると。」 一遍上人の思想には人と仏の区別がない。人と仏は不二である。そうであるから、「仏が仏を念じ」さらに「念仏が念仏を申すなり」という。 「法然上人はその往生を主に臨終の刹那に見、親鸞聖人は平生の一年に見、一遍上人は6字に結ばれる平生即臨終にそれを見つめた」 さて、第3の目的にある自力と他力の不二であるが、そもそも自力と他力を区別しているのは一般衆生だけで、僧には(上人や禅師と呼ばれる人たちには)そのような区別をする意識はほとんどなかったのではないか、という問題があるように思う。しかし本書にはこの点の言及はない。
「自力他力は初門のことなり。自他の位を打ち棄てて唯一念仏になるべし」とあるように、仏教は本質的に他力(自他の対立のない絶対他力)であろうと思われる。 一遍上人の語録の幾つかは、禅の書物に出てくる語録のような味わいがある。 「名号即ちこれ真実の見仏なり。真実の三昧なり。」 「六字のなかに、もと生死なし。一声の間に、即ち無生を証る。」 |