新国立競技場と要件定義

2023年7月16日

新国立競技場の建設にまつわる一連の騒動を、私達が携わる情報システムの構築になぞらえプロジェクト管理面から考察すれば、様々な教訓を得ることが出来るだろう。
新国立競技場の建設に関しては、巨額の総工費に世論の批判が高まり、7月17日安倍政権が急遽、現行計画の白紙撤回を宣言した。(現行計画に対する世論の批判について、報道各社の世論調査では7割~8割が現行計画に反対を表明していた)
プロジェクトの経緯を情報システムの構築に当てはめると、新システムのコンセプトとデザインが決まり、基本設計を進めている途中の段階で待ったが掛かった状況であろう。
白紙撤回の理由は、詳細設計/実装プロセス以降のシステム構築費用の見積をベンダーに依頼したところ、当初計画をはるかに超える金額になったからである。情報システムの構築においても、要件定義フェーズが終わった段階で、設計フェーズ以降を再度見積もるということが行われている。
そして、再見積もりの結果が当初計画をはるかに超える見積工数(見積額)になるという事態も良くあることである。これは、当初よりも要件が膨らんだり、あるいは当初は見えていなかった機能要件や非機能要件が明らかになってくるからである。
新国立競技場の場合は、要件が膨らんだというよりは、(報道によれば)材料費の高騰と、建設工事に関わる労務費の上昇が大きな要因のようだ。

プロジェクトは振り出しに戻り、コンセプトとデザイン、そして要件を再度定義することになった。要件を定義する際には利用者の意見を集約・反映する必要がある訳だが、さて新国立競技場の場合の利用者(エンドユーザー)とはだれなのだろうか?
アスリート?、競技を見学したり応援したりする人達?、テレビなどの報道関係者?
(アスリートに比べれば、報道関係者はそれほど重要でないと考える人がいるかもしれないが、オリンピックにおいてテレビ放送は重要な位置付けにある)
新国立競技場はオリンピック、パラリンピック以降の利用も考える必要があるから、オリンピック競技には無いスポーツや、コンサート・ホールとしての要件なども考慮しなければならない。
このように考えを巡らしていくと、要件がそう簡単にまとまるとは考えられない。実際、報道によれば、各競技のアスリートからはいろいろな意見が出ているようだ。
「陸上と球技の二つを追い求めても、いいものにならない」、「首都にない球技専用のスタジアムにしてほしい」、「可動席を設置した方が臨場感のあるスタジアムになる」、「陸上競技のために、練習で使うサブトラックを常設して欲しい」・・・
システム構築における要件定義でも、エンドユーザーに意見を聞けば似たような状況になることがある。
エンドユーザーはコストのことなどあまり気にかけていないから、それこそ言いたい放題だ。さらに複数部門にまたがるシステムであれば、自部門の利益を最大にしたいと思うのが人情だろう。
このようなことからエンドユーザーの意見を直接聞くのは必ずしも得策(効率的)ではない。(ガス抜きとしての効果はあるかもしれないが・・・)
要求事項の収集について、PMBOKでは以下の手法が紹介されている。
①インタビュー
プロジェクト関係者やステークホルダー、当該分野の専門家などから必要な情報を引き出す。
②フォーカス・グループ
一定の条件を満たす、ステークホルダーや当該分野の専門家を一堂に集めて聞き取り調査を行う。
③ファシリテーション型ワークショップ
ステークホルダー間の意見調整、合意形成を目的に、集中セッションを開催する。
④グループ発想技法
ブレーンストーミングやマインドマップ法、親和図などの技法が紹介されている。
⑤グループ意思決定法
グループの意思決定を行う方法として、満場一致、過半数、相対多数、独裁をあげている。
⑥アンケートと調査
⑦観察
⑧プロトタイプ
⑨ベンチマーキング
⑩コンテキスト・ダイアグラム
⑪文書分析

要件定義は、たいていの場合、曖昧さや認識の齟齬を残したまま後工程へと進んでしまい、テスト段階でこれらが発覚するものだ。
このような要件定義の困難さについては、昔から多くの警句が残されてきた。
・機能要求は膨張する。コストと納期がこれを抑制する
・要件定義には説明責任が伴う
・要件定義は発注者の責任である
・「今と同じ」という要件定義はありえない
最後の「今と同じ」は、「現行踏襲」と呼ばれるものである。これはベンダー泣かせであるが、ユーザーにとっては非常に都合が良いため、現実にはしばしば使われる手段である。
あなたがベンダーの立場にいる場合は、現行踏襲という要件は極力排除するべきである。
ベンダーの立場でよく使われる手段は、「表現されない要件はシステムとして実現されない」である。極端な場合、要件定義書、基本設計書に書かれていない(表現されていない)機能は一切実装されない。
昔から、「設計書に記載されていなかったので、エラー処理は実装されていません」といった笑い話がある。

新国立競技場に関して、当初の建設計画については既に基本設計レベルまで進んでいたようだから、これを振り出しに戻すことで60億円余りの公費が無駄になるようだ。当然ながらこれに対して責任を問う声が上がっている。
一般的なプロジェクトでは、プロジェクト計画書に体制を記述するから、これを見ればプロジェクトマネージャーやプロジェクトリーダーが誰なのかが分かる。体制図を見れば、役割ごとの責任の所在は明らかである。
新国立競技場を巡る一連の問題に関しては、この種の体制に関わる「正確な」話がほとんど報道されていないので仔細は不明である。

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