2015年 2月

八王子と横浜を結ぶ絹の道の途上に鑓水と道了堂跡がある。道了堂跡は東京の名だたる心霊スポットに上がっている。はなはだ不名誉な称号だと思うが、これには道了堂と鑓水地区で起きた2件の殺人事件が関係しているようである。
道了堂跡は、普段はあまり人が訪れない、木々の生い茂った薄暗い丘(鑓水峠)の上にある。一方、鑓水地区はのどかな里山の景観と茅葺屋根の古民家を残しているが、その近代史には鑓水商人と呼ばれた絹長者の勃興と没落、機織り女たちの苦難、そして南津電気鉄道の泡沫の夢が織り込まれている。

道了堂跡

道了堂跡

ここに鑓水の近代史をひも解いた2冊の書籍がある。1つは辺見じゅん「呪われたシルク・ロード」、今1つはサトウマコト「幻の相武電車と南津電車」である。
呪われたシルク・ロードは、その発刊が昭和50年だから、この本に描かれている鑓水の風景からは既に40年が経過している。当時はまだ道了堂が廃寺として半壊状態ながら影をとどめていたようだが、昭和58年に解体され、今は参道の石段などが残るのみである。道了堂跡の、森の木々に覆われて薄暗く荒涼とした雰囲気は今も変わらないが、作品が書かれた当時はもっと暗くておどろおどろしかったようだ。
その道了堂も明治時代は加持祈祷の信者で大いに賑わっていたようで、付近には茶店などもあった。道了堂は、永泉寺の別院として明治7年に創建されている。正式名称は大塚山大学寺。小田原は最乗寺の道了尊の分霊を祀ったとされる(現地の案内板には、浅草花川戸から道了尊を勧進したとある)。
現在道了堂跡を含む丘陵は大塚山公園と呼ばれているが、この名称が寺の山号に由来していることは間違いない。そしてこの大塚とは、道了堂を寄進した鑓水の豪商の名前である。
なお、永泉寺は後で紹介している南津電気鉄道の設立協議会が開かれた寺でもある。
1963年、この道了堂の堂宇を守っていた老女が殺害される事件が起きた。俗に言う道了堂殺人事件である。呪われたシルクロードには、この老女と村民との関係や、堂宇の所有権をめぐる争いが詳しく描かれている。
この事件から10年後の1973年には、立教大学教授が、鑓水にある別荘地(かつての鑓水商人の家)で不倫相手の教え子を殺害する事件が起きている。この事件は教授とその一家の心中という悲惨な結末をむかえる。

日本の主要な輸出品である生糸が、長野、山梨、群馬等から八王子を経て横浜に運ばれた。この道が絹の道(シルクロードである)。
鑓水は谷戸地で田畑が少なく、さらに土地も痩せていたため、村中が桑畑の養蚕地帯であった。生糸商として鑓水商人の名が表れたのは文政年代(1818~1829)と言われている。安政6年(1859)の横浜開港よりも前から、生糸の密貿易が行われていたようだ。
幕末から明治初期にかけて、鑓水には年商千両以上の商人が5人もいた。この狭い集落から豪商が5人も誕生したのは驚きである。豪商の中にはオランダ人を顧問にしていた者もいる。
豪商の1人に狼の五郎吉と呼ばれていた大塚五郎吉がいる。彼は生糸や茶の輸出だけでなく、密貿易や金貸し、八王子の遊郭(田町と思われる)の経営などにも手を広げていたようだ。急激に大きくなった商人は、金を借りて儲けているのが実情だったようで、経済恐慌のあおりで生糸が暴落すると没落していった。
鑓水商人の多くは身代限りか、せいぜい3代目までで没落していった。

八王子が養蚕や織物の地域として注目を集めたのは江戸後期より明治期である。八王子織物は農村経済の支えとして女の手から生まれた。女たちは朝はまだ暗いうちから夜遅くまで、織屋にこもって機を織った。
貧しい農家では、娘を機屋の奉公に出すものが多くいた。今日では考えられないような長時間労働と劣悪な労働環境であった。
機織りの女工や、機織り関係者の信仰を集めたのものに機神様がある。かつては大横町にあった大善寺の境内に機守神社があり、白滝観音が祀られていた。この白滝観音が機神様である。(注)

南津電気鉄道とは、大正13年から昭和4年にかけて一部レールの敷設まで進んだ幻の鉄道である。計画では、京王電気軌道系列の玉南電気鉄道の関戸駅(現在の聖蹟桜ヶ丘駅)に接続する「多摩一の宮駅」を起点とし、その後由木村などを縦断して、津久井郡川尻村久保沢に至る路線であった。
沿線農村の振興などを目的とし、住民の期待も大きかったが、昭和4年の世界恐慌とそれに続く日本の大不況で計画は挫折した。
南津電気鉄道株式会社の設立協議会は、大正13年鑓水の永泉寺にて開催された。お寺で会社の設立会議が行われるというのが面白い。設立時の取締役には、鑓水商人の子孫や村の重鎮が関わっていた。
また、昭和5年の由木村人口5,247人のうち約21%が南津電鉄株主として出資していた。道了堂殺人事件の被害者となる件の女性も株主名簿に名を連ねている。
南津電気鉄道の第1期工事はレールが敷設されるところまで進んだが、不況のために工事は中断へ追い込まれる。株金の支払いが滞ったことから、鉄道工事の請負業者への支払いも滞った。結局請負業者は敷設したレールを撤去して売却してしまったようだ。こうして南津電気鉄道は泡沫の夢に終わる。
(参考:八王子・絹の道、片倉城址


(注)
機守(はたがみ)神社の由来について、大善寺境内の案内板より

機守神社

機守神社

「文政の頃、八王子宿に信仰心の篤い与平という老人がいた。ある夜、夢の中で白滝姫(天平の時代、孝謙天皇に仕えていた女性で、後に上野国に養蚕や機織の道を興したと伝わる)に会い機織りの秘法を授かった。
翌朝目覚めた与平は大変喜んで、白滝姫の姿を模写し大善寺の傍らに小祠を建て機織神社として朝夕崇拝した。以来、八王子織物の業に携わる人々から厚い信仰を受けていた。その後三回の祠の修復が行われ、昭和57年この地に遷座された。」

 

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