2021年 2月 27日

私は著者(中野信子氏)については、表題以外の著作を読んだことがない。脳科学者のエッセーというところに興味を惹かれて「ペルソナ 脳に潜む闇」(講談社現代新書)を読んだ。
脳科学者、認知科学者である著者は、失われた世代(あるいは、団塊ジュニア世代、就職氷河期世代)に属する。本書には、著者の生い立ちや、親との関係(確執)、生きづらさを感じ続けてきたことなどが記されている。
生きづらさを感じる要因の一つとして、著者は自己の性格の闇(?)の部分をあげているが、私には著者の性格がそれほど変わっているようには読めなかった。世の中に対して多少シニカルだけれど頭の良い人だと思われる(そのように読める)。
モノの見方が一般的な常識人とは異なっているところがあるようだが、そのようなところが却って新鮮であり、私たちに反省を促している側面がある。
例えば著者は次のように述べている。
「”働かざる者食うべからず”という言葉も私は大嫌いだ。社会/世間に対してなにか供するものがなければ死ね、と言わんばかりの、豊かさとは真逆のところから出てくる発想が何とも悲しい。・・・いかにも余裕のない、心の貧しさが濃く漂う言葉ではないか」
著者の指摘はある一面で正しいと思う。
例えば、私が自動車産業に労務を提供している場合を考えてみよう。私は社会に対して車という利便性(や効率など)を提供している(良いことをしている)ともいえるが、二酸化炭素を排出して地球温暖化に加担している、あるいは交通事故で人を不幸にしている、という面もあるだろう。ものごとは一面だけでは測れない。
「一億総活躍社会」というのも同じ文脈で語られることがあるが、これには(少なくとも)二つの意味があると考えられる。
ひとつは日本の財政上の問題である。日本の財政は借金が肥大化しているが、今後団塊の世代が次々と後期高齢者になるにつれて社会保障の負担が増え、財政は益々悪化する(と予測できる)。(だから高齢者も働いて社会保障の負担を少しでも軽減するべきだ、という論理)
いまひとつは、経済成長は良いことだ、という考え方である。
「働かざる者食うべからず」の背景には、経済成長に対する幻想があるように思う。地球上の資源には限りがあるから、成長にも自ずと限界がある。 経済成長のために多くの労力が駆り出されるにつれ、それに反比例して心は貧しくなっていくのかもしれない。 昨今、経済成長を前提としない経済学が必要だといわれる所以であろう。 

本書のなかで面白いと感じたトピックスをいくつか挙げてみる。
「過去に存在した事実の集積で人間は出来ている。・・・今の私があるのは少し前の私がいたから、そしてその少し前の私がいたのは数年前の私がいたからだ」
今の私は過去の記憶のうえに(そして過去から現在に至る時間の連続のなかに)成り立っているということだろう。
私はこの部分を読んで、なぜか「考えるナメクジ 人間をしのぐ驚異の脳機能」(松尾亮太、さくら舎)という本のことを思い浮かべた。この本にはナメクジの脳の驚くべき能力(脳力?)が書かれている。
ナメクジは、その前脳葉が(人為的に)破壊されたとしても、1ヶ月ほどで再生するそうだ。すなわち、ナメクジは過去の記憶を失ったとしても、脳を再生して生存し続けるわけだ。
さて、ここで、記憶を失ったナメクジは過去のナメクジと同じナメクジだと言えるのだろうか?
なんだかテセウスの船みたいだが、このような事態を人間に当てはめて考えてみると興味深い。
将来人工知能は人間の脳を代替できるのだろうか?
そのとき、今の私(脳をAIに置き換えた私)は過去の私と同じだといえるのだろうか?
エヴァ・ホフマンは、「私たちは、生物として時間によって形作られているだけでなく、心で時間を知覚している」と述べている。

著者の研究テーマ(のひとつ)は、聴覚を介した言語認知に関する研究だそうだ。
これは、「単なる空気の振動である音刺激が、中枢神経系ではどのような経路をたどって「言葉」となり、意味や意識となるのか」ということを研究するようだ。
これは聴覚に関する課題だけれども、これを視覚に関する課題に置き換えると、「単なる記号の連なりがどのような神経経路をたどって言葉となり、意味や意識になるのか」となる。
これは人工知能における自然言語処理に関する課題(いわゆる記号接地問題)と関係するのかもしれない。(残念ながら私には詳しいことは分からないけれども、興味深い未解決課題である)

私たちの脳は「美しい」と「正しい」とをよく混同し、区別して考えられないそうだ。
例えば、私は「E=MC2」という法則はシンプルで美しいと感じる。だから正しいと考えるのだろうか?
ソフトウェア開発でも同じことがいえる。構造がシンプルで美しいプログラムを私たちは好む。逆に構造が複雑でスパゲッティーのようなコードは嫌われる。そして複雑であるがゆえに正しくない(エラーが混入している)と疑う。
これはその他の分野(例えば建造物の構造設計など)でも同じかもしれない。私たちは原理的に、美しいことと正しいことを同一視する傾向があるようだ。

著者は「この世界で社会人として生きていくには言語の運用スキルが極めて重要だ」として、コミュニケーション能力(言語の運用能力)の重要性を指摘している。
この指摘も私たちの(システム開発プロジェクトの)プロジェクト管理で痛感することである。プロジェクトを推進するなかで発生する問題の多くはコミュニケーションの問題に帰結する。
顧客とのコミュニケーションが上手くいかなかったために発生する、要件(仕様)の理解不足や誤解、それに伴って発生する後工程での手戻りやテスト漏れ。
プロジェクト内のコミュニケーション不足が原因で起こる進捗遅延やバグの混入。
プログラマーから「そんな仕様は聞いていなかったのでエラー処理は実装されていません」と言われた、という笑い話さえある・・・この種の問題は数え上げたらきりがないだろう。

本書には「日本は科学技術後進国だ」との指摘がある。
これは、特別定額給付金を支給する際、多くの自治体で煩雑な手作業が発生したことを指している。なかには、「マイナポータルからの申請を止めて欲しい」というケースもあり、行政手続きのIT化が遅れていることが露わになった。
接触確認アプリ「COCOA(ココア)」の一部で、接触を検知・通知できないという不具合(バグ)が4カ月以上放置されていたという問題も発覚した。
この原因のひとつに日本のIT業界の悪しき慣例である、ベンダー丸投げと多重下請け構造の問題があったようだ。いまひとつ個人的に気になるのは、この問題の背景に最近流行りのアジャイル開発の弊害がありはしないか、という危惧である。
プログラムを早くリリースすることに重きが置かれ過ぎて、バグはリリースした後に改修すれば良いと、安易に考えていないだろうか?
このような意識があるとプログラムをリリースする前のテストが不十分になる可能性がある。テスト網羅度は適切であったのか? テストの観点に漏れはなかったのか? など品質管理上の問題があったのではないか、と推測する。

最後に、今回のコロナ禍でも話題になった「正義中毒者」に関する指摘も重要である。
正義中毒者とは、「あるべき姿でないというだけで、いかがなものか、といつでも言いたがっている人」のことである。今回のコロナ禍では、自粛警察が話題になった(これは、戦時中の自警団と同じ構造だろう)。
正義中毒について著者は次の指摘をしている。
「ルールに従うことは選択の自由を放棄していることと同じだともいえる。ルールというのは便利な側面もあるが、むやみに濫用すれば、人々は思考停止させられてしまう」
思考停止に関わるもう一つの指摘も載っている。
それは「専門家のアドバイスは脳の活動を停止させる」というものである。
「専門家のアドバイスが的確でない場合でも、意思決定を司る脳の部位は活動を停止する」そうだ。
今回のコロナ禍では多くの専門家がマスコミで意見を述べていた(新型コロナに関しては、まだまだ分からないことが多い、と言いながら・・・)。
これらの指摘を思うにつけ、私も思考停止にならないように注意しよう、・・・と自戒する。

 

本のINDEX

Update

2021年2月
« 12月   3月 »
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728

Archive

Navigation