「意識と脳」(スタニスラス・ドゥアンヌ、高橋洋二:訳)

「意識と脳 思考はいかにコード化されるか」(スタニスラス・ドゥアンヌ、高橋洋二:訳、紀伊国屋書店)は、その表題にあるとおり、主に意識と無意識の仕組みを脳神経科学の見地から解明した書籍である。
意識という主観を如何に客観的・科学的に解明するのか、そのための手法やアイデアがおもしろい。意識の科学が進んだのは、機能的磁気共鳴画像法(fMRI)や、脳磁図(MEG)、脳波検査法(EFG)などの技術の進歩によるところが多いそうだ。意識と脳

意識や心に関する本を読む時、そもそも「意識の定義は何か」が問題になる場合があると感じる。すなわち、人によって(著者によって)その定義が異なっていると感じる場合があるからである。
しかしこの問題(意識の定義)を厳密に行おうとすると、新しい造語が必要になる可能性がある。一つの言葉が表す概念が、著者によって微妙に異なる場合、言葉を変えて区別するしか方法がないからである。これは、「こころ」など実体のない言葉に共通する問題であり、哲学一般の問題に違いない。
本書には「意識の定義」が明記されている。それによると意識には3つの概念があるという。3つの概念とは、覚醒状態、注意、コンシャスアクセスであり、そのなかで純粋な意識とみなせるのはコンシャスアクセスだけだという。
コンシャスアクセスとは著者の造語であるが、正直なところ私にはこの概念を共有するのが(すなわち、理解するのが)困難であった。そこで、もっと単純に、本書における「意識」とは、無意識の反対語であり、「xxが意識に上る」という場合の意識である、という程度の粗っぽい説明で以下話を続ける。

本書を読むと、意識よりも無意識が働く領域が如何に大きく、そして重要なのかが分かる。無意識が働く領域というのは、意識が働く領域に比べて格段に大きい。
例えば、話し言葉を聞くとき、単語の意味(意味の候補を列挙する働き)は無意識のレベルで処理されていて、意識のレベルでは文脈への適合など、より高次の処理が行われているようなのだ。
カクテルパーティー効果というのがある。カクテルパーティーでは沢山の出席者がそれぞれに雑談していて、会場は騒々しい。貴方もこのパーティーに参加しており、いま面前のある人と会話を交わしているとしよう。このとき、周りの雑談の中に貴方の話題が出る(貴方の名前が出てくる)と、貴方はハッと気付いて、それを聞き取ることができる。
本書によれば、周りで交わされる会話のなかに登場する単語は、無意識のうちで意味解釈が行われている。無意識のレベルで行っている単語の意味処理のうち、例えば貴方の名前など、自分にとって重要だと考えられるもの(自分が注意を向けるもの)が意識のレベルにまで上がってくる、という仕組みのようだ。

この「無意識」と「意識」の処理方式の違いが非常に興味深い。
無意識の処理は、意識という表層の下で膨大な量の処理を行っている。そしてこの膨大な量の無意識の処理は並列して動作しているようなのだ(計算機でいえばマルチタスクといったところだろう)。
一方、意識レベルの処理は直列(シーケンシャル)にしか処理できない。すなわち、私たちがあることに意識を向けている時には、それ以外のイベントは無視されてしまう。
先ほどのカクテルパーティーの例でいえば、貴方の意識には会話している相手の言葉だけが意識されており、その他の人々の会話は意識されない(意識に上ることはない)。
周囲の会話の中で貴方の名前が話題にのぼり、あなたの意識がそちらに注意を向けたときには、いまいま会話していた相手の言葉はその瞬間遮断されるということのようである。(心理学でいう図と地も同じであろう。図を意識している時には地は意識されない)
意識は直列処理であり、注意の先を切り替えるという行為は、ソフトウェアでいう割込み処理に似ている(と感じた)。意識的な気付きの「しるし」は、前頭前野と頭頂葉の領域で構成される大規模なネットワークが活性化することにみられる。
著者は「前頭前野と頭頂葉を動員する長距離ループのみが意識的なコードを生成する」としている。著者が言う「コードを生成する」とか「コード化する」ということの意味が私には今ひとつ分からないが、アルゴリズム(処理手続き)を生成すること、あるいはアルゴリズムを起動して何らかのアウトプットを得ることなのかもしれない(不詳)。

神経回路の活性化には、ボトムアップの方向とトップダウンの方向とがあるようだ。
ボトムアップとは、感覚受容器から統合中枢へと活性化が進むことである。一方、トップダウンとは、ボトムアップとは逆方向、意識的に知覚される対象を特定する予測シグナルが、下位領域に向かって活性化が進むことである。
意識にとって重要な、長距離の神経回路の結合はほとんどが双方向的であり、トップダウンの投射(神経的なつながり)はボトムアップの投射より、数で圧倒的に勝るそうだ。そして、なぜこのような構成なのかはほとんど分かっていないという。
この辺りの論理も分かりづらいのだが、小細胞経路(P経路)と大細胞経路(M経路)に関係しているのかもしれない。「脳科学からみる子どもの心の育ち」(乾敏郎、ミネルヴァ書房)に、視覚認知に関わる脳内メカニズムの説明がある。
この書籍によれば、P経路とは形状の詳細や色に関する情報処理のことであり、M経路は全体のゲシュタルト(大まかな構造)を処理する。そして、P経路を伝わってきた個々の詳細な形状情報が、全体のゲシュタルトによって組織化(体系化)される、としている。
このモデルでも感覚受容器と低次中枢の間、および低次中枢と高次中枢の間の経路は双方向である。

今までの議論では無意識という言葉を区別せずに使ってきたが、本書によれば無意識にもいろいろなレベルがあるようだ。それは、識閾下、前意識、切り離されたパターン、複雑な発火パターンへの希釈、潜在的な結合、だという。(これ以上は、話が詳細かつ専門的になり過ぎて私の理解を超えているのでここでは割愛する)

著者は意識をコンピュータでシミュレートすることは可能だと考えている。
これを実現するためには、現在のコンピュータには無い重要な機能、「柔軟なコミュニケーション」、「可塑性」、「自律性」が必要だという。
このなかで柔軟なコミュニケーションとは、モジュール間(あるいはプログラム間)の情報共有のことを指しているようだが、これらの機能は例えば共有メモリーやマイクロサービスを使えば実現可能なように思われる。(詳細は不詳)
いずれにしろ、アルゴリズムの具体的内容や、メモリー(記憶装置)に実装される知識、プログラムとして実装される知識、などが解明できなければコンピュータ上に実装することは出来ないだろう。
さらに、意識の科学には、「自由意志」だとか「自己意識」など、より高度な難問が残されている。

最後になるが、著者はロジャー・ペンローズの主張には懐疑的である(ペンローズは意識や自由意志の説明には量子力学が必要だと主張している。一方、著者は自由意志の概念は量子力学に訴えずとも、標準的なコンピュータシステムとして実装可能だと考えている。)

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