意識はいつ生まれるのか

「脳の謎に挑む 統合情報理論 意識はいつ生まれるのか」(マルチェッロ・マッスィミーニ、ジュリオ・トニーニ:著、花本知子:訳、亜紀書房)は、意識と脳について書かれた読み物である。意識はいつ生まれるのか
「意識や心と脳との関係」について書かれた書籍はいくつか読んだが、本書もその一つである。本書の特徴は、専門知識がなくとも読めるよう、平易に解説されていること、および統合情報理論という仮説(?)に基づいて意識と脳の関係を探求している点であろう。
(前にも書いたが)この種の本を読んで感じるのは、「意識の定義」が著者によって異なっているのではないかという疑問である。意識や心という実体(モノ)がないものを対象とする場合、人によって概念が異なるのはやむを得ないことかもしれないが・・・。本書においても、最初にこの点に関する言及がある。イギリスの学者スチュアート・サザーランドは自著「心理学事典」序文で次のように語っているそうだ。
「意識というのは魅力的な現象であるが、とらえどころがない。それが何なのかを定義することは不可能で、どのような働きをするのか、なぜ発生したのかも分からない。このテーマについて読むに値するものはまだ何も書かれていない」(こう言われると、ちょっと身も蓋もないと感じるが・・・)
また、他の書籍でも言及がある「精神と物質の二元論」についても触れている。
「デカルトの考えでは、精神と物理的な世界の間にはなんの関係もない。・・・精神的なもの(思惟実体)と物理的なもの(延長実体)の間には埋めがたい溝がある、という考え方が二元論の肝である」
本書でいう「意識」は、大まかに言えば「意識と無意識」という場合の「意識」であり、また、「意識を失う」とか「意識を取り戻した」とかいう場合の「意識」である。さらに、本書の立場は、「意識は脳に宿る」という立場であり、「脳の仕組みを解明すれば意識が解明できる」という立場に近い。
(この点も前に書いたことだが)脳科学や脳神経科学を専門とする人たちには、このような立場をとる人が多いようだ。しかし、意識や心は脳の仕組みだけでは解明できないと考える人たちもいる。このような立場で重要なのは、脳以外に「身体」や「外部環境」との関係を重要視する人が多いということだろう。 

本書には外科手術にまつわる、いろいろな症例の話が出ていて興味深い。一般に外科手術を行う場合は手術前に患者に麻酔をかけるのだが、ごく稀に手術中に意識が戻ってしまうケースがあるそうだ。患者は手術中、自分に施されている手術の経過を意識しているわけだ。これは考えるととても恐ろしい状況だと思う。
そして、このような現象は麻酔科医にとって未解決の問題だそうだ。

ある種の病気(てんかんなど)では患者の脳梁を切断せざるを得ないケースがある。この場合、右脳と左脳で情報の連絡通路が断たれてしまう。するとどうなるか? なんと右脳と左脳の両方に意識が宿るという。
右脳の意識と左脳の意識という二つの意識が生じるということがどのような感覚なのか、ちょっと想像がつかない。この場合、右脳と左脳のどちらかの意識がメインに機能するようだ。

植物状態という言葉があるが、この状態が定義されたのは1972年のこと。これは反応がない覚醒状態のことである。これと似た症状にロックトイン症候群というものがある。これは、意識があるのにそれを外部に伝えることができない(意識があることを他人に知らせる術がない)状態だそうだ。これも昏睡状態と区別ができないと考えるとちょっと怖い。

意識が有るのか、それとも無いのか? 意識がないとして意識が戻ることはあるのか?これらを探る手段のひとつとして、脳のニューロンの活動と意識との間に何らかの関係があるのではないか、という想像が働く。
これに関しては、「ニューロンのインパルスが同期していることと意識との間には何らかの関係があるのではないか」という推論があるという。しかし、「意識がなくなっても脳全体にわたって波動が完全に同期するケース」というのもあるそうだ。
結局のところ、「ニューロンの活動と意識との関係は分かっていない」そうだ。

ニューロンの数と意識との間には何か関連があるのだろうか?
人間には約一千億個のニューロンがある。このうち、約200億個のニューロンが「視床-皮質系(大脳皮質)」にあり、約800億個のニューロンが小脳にある。ニューロンの数では小脳の方が圧倒的に多いが、小脳は意識に関与していない。意識に関与するのは数が少ない「視床ー皮質系」の方だ。
これは直観的には不合理のように感じる。しかし、これをコンピュータのソフトウェア・システムに例えると分かり易い。小脳は多数のモジュールが、それぞれ独立に機能している。一方、「視床ー皮質系」の方は多数のモジュールが統合されている(モジュール間をつなぐ通信路が存在している)。この連想から分かるように、「モジュール間で情報をやり取りする通信路が存在すること」が意識の存在に関わっているようだ。
小脳の方は多数の独立したモジュールが、それぞれに割り当てられた役割だけを実行するから、これらは「無意識」にかかかわっているのだろう。
「意識」と「無意識」の関係は重要な観点だろう。陸上選手や水泳選手がピストルの合図でスタートを切る場合を考えてみよう。精神生理学の研究で、感覚器官に刺激を受けたとき(ピストルの音を聞いた時)、それが意識にのぼるまでには少なくとも0.3秒(300ミリ秒)を要するという。つまり、ピストル音を意識してスタートをしていたのでは遅すぎる。無意識に反応するから早くスタートが切れるのだ。
これらの現象はスポーツに限らず私たちの日常の行動にもあてはまる。私たちは、階段を上ったり下りたりするとき、たいてい無意識で行っている。これを意識的に行うと動作が遅くなる。無意識に行うことで、他のことに意識を向けることができる。
最初意識的に行っていた動作が、訓練を繰り返すことで無意識に行うことができるようになる。考えてみれば意識と無意識の役割分担は、便利で効率的な仕組みだと考えられる。
しかし、無意識な行動がミスを招くこともある。工事現場などで行われている「指さし呼称」は、ミスを防止するために行動を意識的に行う工夫だと考えられる。

「統合情報理論」について、本書には専門的な説明はない。従ってかなり抽象的な表現に見えてしまうが、本書が一般読者向けに書かれていることを考えればやむを得ないのだろう。
この理論を先ほどのソフトウェア・システムに例えれば、多数のモジュールを「統合」する点がキモになるようだ。統合情報理論は、「多様性と統合」がキモである。
「意識を生み出す基盤は、おびただしい数の異なる状態を区別できる統合された存在である。つまり、ある身体システムが情報を統合できるならそのシステムには意識がある」
しかし、この説明には少々違和感を感じる。一般にソフトウェアシステムは多くの機能や情報が「統合」されているのではないだろうか? しかし、ソフトウェアシステムに意識が宿っていると考える人はいないだろう。いったいこの違いは何なのだろうか?

本書には「コネクトーム」に関する説明がある。コネクトームとは、神経系内にあるニューロンなどの要素の接続を示す神経回路図のことである。
「神経回路の完全な地図を作るという野心的なプロジェクト。・・・この研究は始まったばかりだ」
神経回路図(完全な地図)が分かれば意識が生まれる仕組みが解明できるのだろうか? ソフトウェアシステムとのアナロジーで考えると回路図だけでは不十分だと思われる。最低限、各モジュールが担当する「機能」と、各モジュール間を行き来する「情報」が必要なのではないだろうか?
いずれにしろ意識の解明への道のりは長いようだ。

 

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