江戸の朱子学
土田健次郎著「江戸の朱子学」は、朱子学が江戸時代においていかなる機能を果たしたのかを研究した書物である。 題名が気になって軽い気持ちで読み始めたのだが、これがなかなか難解、非常に学究的内容である。 私は朱子学や陽明学の専門家ではないので、本書の内容を引用しつつ朱子学の概要と、本書に対する感想などを記す。 最近は、金融機関における内部犯行(預貯金の不正引き出し)や、退職者による企業の秘密情報の持ち出し、科学論文のコピペ問題など、職業倫理を問われる問題を目にすることが増えている。 これらの背景の一つに、社会的倫理規範に関する教育が、特に学校教育であまり行われていないということが考えられる。このような観点からも、儒教が果たした役割を見直すことは無意味ではないと感じる。 最初に、朱子学とは何か。 朱子学は、中国・南宋の朱熹の思想のことである。朱熹が基本に据えたのは四書(論語、大学、中庸、孟子)であるから、おおまかに捉えると儒教思想の1つの流れ、宋の時代に登場した新たな儒教思想である。 朱子学は中国で生まれたが、朝鮮、日本をはじめとした東アジア諸地域に伝搬した。朱子学を抜きにしては近世の東アジアの思想文化を語ることは出来ないと言う。従来は、朱子学が持つ封建思想としての性格が東アジアの近代化を阻んできたという議論が主流であったが、最近は朱子学がそれなりに近代化に貢献してきたのではないか、との見方も出てきているそうである。 本書の主題は朱子学であるから、陽明学についてはあまり詳しく述べられていない。陽明学について簡単に紹介しておくと、これは明の王守仁(王陽明)の儒教思想である。王守仁はもともと朱子学者であったが、既存の朱子学に違和感を持つようになり、新たな思想を構築するに至った。 朱子学の教理は、仏教や道教の刺激を受けながら形成されたものである。 朱子学の重要な概念に「気」と「理」がある。「気」とは、物質であり、時にはエネルギーを表している。「理」とは、感応する世界(変化する世界)を司る「法則・秩序」のことである。 「理」は「気」がない限り自己を現せない。また「気」はそれが「物」として認識できるときは必ずそこに「理」が存在するという。 この説明を読んで、仏教でいう色即是空の、「色」と「空」の関係に似ていると感じた。さらに、仏教思想においても「理」は重要な語として現れる。「理法」や「道理」という言葉が思いつく。「理法」は「法則・秩序」に近い概念だと思われる。 本書には、儒教、仏教、道教の合一を説いた「三一教」説のことが書かれているが、これら3つの思想は互いに影響を受けながら発展したのではないかと思われる。 朱子学は極めて厳格な道徳主義を持つ。また、「一物一理」という理論を有する。
一物一理とは、1つの物(事態)には1つだけ理(秩序、法則)があるという主張である。
また、朱熹は「心」を「性」と「情」に分ける。「情」とは「気」であって、我々が経験できる形而下の心の動きである。そして、「性」とは「理」であり、心の動きの秩序・法則など形而上のものである。
朱子学の特徴は、世界の構造から心の構造までを統一的体系的に論じている点にある。 朱子学も陽明学もともに「心」を最大の関心事としていた。 |