幻の村・新川(行田~熊谷)

埼玉県行田市は、忍城址やさきたま古墳、蔵の街で有名である。
忍城址へは、JR高崎線の行田駅から歩いて行くことができる。
(秩父鉄道の行田市駅の方が近い)
今回は、忍城址とは反対方向、行田駅から南の方角、荒川方面に歩き、幻の村と呼ばれる新川村(跡地)などを散策。

 

忍城忍城は石田三成の水攻めに耐えた名城で、関東7名城の1つ。
和田竜著「のぼうの城」の舞台になったことでも有名。のぼうの城は2012年映画化された。
写真は再建された御三階櫓。
大澤蔵
大澤蔵
行田市には幾つかの古い蔵が残っている。
蔵を改装して商店として利用しているところもあり、忍城址とともに町おこしに一役買っている。

 

行田~熊谷マップ新川村は戦後間もなく廃村になったが、江戸時代初めの頃から約300年、500人余りの人々がここに暮らし、舟運や養蚕の村として栄えた。河岸には廻船問屋や筏問屋、塩問屋、油問屋が軒を並べ、江戸浅草と武州新川を結ぶ荒川を帆掛け船が往復し、荷が着く日には、大八車や馬を引く人たちで賑わった。
また、秩父山中から流した木材は、筏職人が筏舟にして江戸へと運んだ。
明治16年、鉄道の開通で舟運は姿を消したが、
度々この地を襲う大水は豊かな土壌をもたらし、良質な桑が特産となり養蚕が盛んになった。
やがて養蚕が廃れるようになると、大水に追われるようにして、人々はこの村を去って行った。(現地案内版の説明より)
新川村の歴史や伝承、村にまつわる証言は、「新川エコミュージアム」のWebサイトに詳しい。
行田駅南方面行田駅の南、荒川の方に向かって歩く。
江川村共同墓地①昭和20年頃、下分(江川村)の人々が村を去る時、お墓を共同墓地に集め、記念にお地蔵様を建立したと伝わる。
新川村への道共同墓地を後にして、アスファルト舗装された道を歩く。
所々にこんもりとした森が見えるが、その大半は昔屋敷があったところで、今は屋敷の木々だけが残っている。
店んち(島村家)の説明板
店んち(島村家)の説明板
屋敷跡には説明板が掲げられているので、これを頼りに新川村跡地を歩いて回れる。
写真は「店んち(嶋村家)」の説明板。
興味深いのは、岐阜の長良川にみられるような鵜漁がこの一帯にもあったことである。「鵜使いんち(長嶋家)」は、その名残である。
旧島村家の石垣屋敷や蔵は残っていないが、石垣だけは今も残存している。
新川村の道地元の人以外は訪れる人が少ないので、新緑の景色を楽しみながらのんびりと歩ける。
三島神社
三島神社の鳥居
②三島神社の鳥居
久下氏館の守りとして建てられたいくつかの三島神社のうちの1つ。現存するのはこの鳥居だけとのこと。
度々の大水で鳥居の半分は土砂に埋まっている。
旧中山道③旧中山道
旧中山道を熊谷駅に向かって歩く。
街道沿いに蔵のあるお屋敷が少しばかり残っている。
東竹院
東竹院
④東竹院
正式名称は、梅龍山 東竹院 久松寺。
建久2年(1191年)、久下重光が開基と伝わる。
曹洞宗のお寺であるが、日本曹洞宗の開祖誕生よりも以前からあったことになる。
だるま石東竹院境内にある「だるま石」。
だるま石の脇に、そのいわれを記した石碑がある。
それによるとこの石は、寛文年間、忍城主の命で秩父山中から筏に乗せて荒川を運んでいたが、途中で転落。その後、大正14年に東竹院の前の河原で発見される。
この石は転落場所から260年かけて2キロも川を遡ったことになるそうだ!
元荒川ムサシトミヨ生息地
元荒川ムサシトミヨ生息地
⑤ムサシトミヨ生息地
「元荒川ムサシトミヨ生息地」は、埼玉県の天然記念物に指定されている。
絶滅の恐れがある魚だが、太平洋戦争前には、井の頭池や善福寺池、神田川、石神井川などにも生息していたそうである。
大雷神社⑥大雷神社
かつての元荒川源流付近にある神社だが、今や完全に駐車場と化し、神様も追い出されそうだ。
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