幻の村・新川(行田~熊谷)

2024年3月26日

埼玉県行田市は、忍城址やさきたま古墳、蔵の街で有名である。
忍城址へは、JR高崎線の行田駅から歩いて行くことができる。
(秩父鉄道の行田市駅の方が近い)
今回は、忍城址とは反対方向、行田駅から南の方角、荒川方面に歩き、幻の村と呼ばれる新川村(跡地)などを散策。

忍城忍城は石田三成の水攻めに耐えた名城で、関東7名城の1つ。
和田竜著「のぼうの城」の舞台になったことでも有名。のぼうの城は2012年映画化された。
写真は再建された御三階櫓。
行田市には幾つかの古い蔵が残っている。大澤蔵
蔵を改装して商店として利用しているところもあり、忍城址とともに町おこしに一役買っている。

行田~熊谷マップ新川村は戦後間もなく廃村になったが、江戸時代初めの頃から約300年、500人余りの人々がここに暮らし、舟運や養蚕の村として栄えた。河岸には廻船問屋や筏問屋、塩問屋、油問屋が軒を並べ、江戸浅草と武州新川を結ぶ荒川を帆掛け船が往復し、荷が着く日には、大八車や馬を引く人たちで賑わった。
また、秩父山中から流した木材は、筏職人が筏舟にして江戸へと運んだ。
明治16年、鉄道の開通で舟運は姿を消したが、
度々この地を襲う大水は豊かな土壌をもたらし、良質な桑が特産となり養蚕が盛んになった。
やがて養蚕が廃れるようになると、大水に追われるようにして、人々はこの村を去って行った。(現地案内版の説明より)
新川村の歴史や伝承、村にまつわる証言は、「新川エコミュージアム」のWebサイトに詳しい。
行田駅の南、荒川の方に向かって歩く。行田駅南方
江川村共同墓地①昭和20年頃、下分(江川村)の人々が村を去る時、お墓を共同墓地に集め、記念にお地蔵様を建立したと伝わる。
共同墓地を後にして、アスファルト舗装された道を歩く。新川村への道
所々にこんもりとした森が見えるが、その大半は昔屋敷があったところで、今は屋敷の木々だけが残っている。
石垣
屋敷や蔵は残っていないが、石垣だけは今も残存している。

店んち(嶋村家)
店んち(嶋村家)
新川村の道地元の人以外は訪れる人が少ないので、新緑の景色を楽しみながらのんびりと歩ける。
②三島神社の鳥居三島神社
久下氏館の守りとして建てられたいくつかの三島神社のうちの1つ。現存するのはこの鳥居だけとのこと。
度々の大水で鳥居の半分は土砂に埋まっている。
旧中山道③旧中山道
旧中山道を熊谷駅に向かって歩く。
街道沿いに蔵のあるお屋敷が少しばかり残っている。
④東竹院東竹院
正式名称は、梅龍山 東竹院 久松寺。
建久2年(1191年)、久下重光が開基と伝わる。
曹洞宗のお寺であるが、日本曹洞宗の開祖誕生よりも以前からあったことになる。
東竹院境内にある「だるま石だるま石」。
だるま石の脇に、そのいわれを記した石碑がある。
それによるとこの石は、寛文年間、忍城主の命で秩父山中から筏に乗せて荒川を運んでいたが、途中で転落。その後、大正14年に東竹院の前の河原で発見される。
この石は転落場所から260年かけて2キロも川を遡ったことになるそうだ!
⑤ムサシトミヨ生息地元荒川ムサシトミヨ生息地
「元荒川ムサシトミヨ生息地」は、埼玉県の天然記念物に指定されている。
絶滅の恐れがある魚だが、太平洋戦争前には、井の頭池や善福寺池、神田川、石神井川などにも生息していたそうである。
大雷神社⑥大雷神社
かつての元荒川源流付近にある神社だが、今や完全に駐車場と化し、神様も追い出されそうだ。

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Posted by kondo