STAP騒動とは結局なんだったのか?
本ブログを書いたのが2015年5月。その後、2016年1月に小保方氏が書いた「あの日」が出版された。 |
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「捏造の科学者 STAP細胞事件」は、毎日新聞の須田桃子記者が、STAP細胞論文に関する華やかな記者会見から始まり、その後次々と論文に対する疑義が生じ、ついには世界三大不正の1つとまで言われるに至ったSTAP細胞事件を克明に追った記録である。 本書は、事件を追ってほぼ時系列に描かれている。関係者への取材と緻密な資料整理、時に記事を掲載するか否かを逡巡し、時にNHKに出し抜かれて悔しい思いをするなど、取材現場の緊張感が伝わってくる。 それにしても表題の「捏造の科学者」は少々過激な表現ではないだろうか。というのも、本書を通して事件全体をあらためて眺めてみると、研究ユニットリーダーの小保方氏に不正行為があったことは間違いがなさそうだが、当の本人にはあまり罪悪感がなかったように見える(読める)からである。 小保方氏による実験データの捏造や改ざんは、我々ITベンダーが顧客に対してシステム提案やプレゼンテーションする際、多かれ少なかれ表現を誇張したり、図画をデフォルメするのと同じような感覚で行われていたように見える。つまり小保方氏にとってみれば、論文を読む人のために、データを見やすく分かりやすく加工してあげたという認識であり、それが不正だという自覚に乏しいのである。 CDB竹市センター長の以下の発言が象徴的である。 「何を言ってくれても証拠がない。ノートがあればそれで証明すればいいけれど、みんな頭の中にあるみたいだから。僕は小保方さんがどういう人か、今ひとつ分からないです」 本書を読み終わって一番に感じるのは、「結局のところ誰が不正を仕組んだのか、今もって事件の全容が分からない」という、何だか消化不良のような、すっきりとしない読後感である。 この事件は、「STAP細胞とはこのような性質を有するものである」という結論(ないしは目標)が最初にあって、それに基づいて研究が進められ、結論を支持するデータが揃えられていったかのように見える。俗にいう「結論ありき」の虚構である。 結論(目標)とは、再生医療分野においてiPS細胞を凌駕する性能・性質を有するSTAP細胞の発見である。この結論を導くまでの一連のシナリオを、小保方氏が1人で描いたとは考え難い。むしろ小保方氏は、このシナリオに沿って1つの重要な役割を演じるよう操られたようにさえ見えるのである。いずれにしろ真相は未だ分からないままだ。 この事件では職業倫理/研究者倫理というものが厳しく問われた。データの捏造や改ざんだけではない。論文の中には不正なコピペ(著作権侵害)があったという。さらに、研究段階でのずさんなデータ管理や研究ノートの不備(というかほとんど記録が残っていない)など、職業倫理以前のリテラシーとでもいうべきところにも多くの問題があったことが指摘されている。 STAP細胞事件をめぐる報道で特筆すべきは、新聞やテレビの報道に先駆けて、ネット上に論文に対する疑義が投稿され、これに関連する論議がネット上に拡散したことである。 本書で指摘されていることだが、この事件は「シェーン事件」と類似する点が多いそうだ。シェーン事件とは、2002年にベル研究所で発覚した史上空前の論文捏造事件である。 ●不正が行われた舞台がトップクラスの研究所である点 STAP細胞事件は、我々が携わるプロジェクト管理上の問題とも共通点が多いように感じる。
●担当者任せや放任主義は、ときに問題の発見を遅らせ、問題を大きくする。 |
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小保方氏の「あの日」を読んで感じたのは主に2点である。 一つは、小保方氏は(その年齢、経験からみても)唯の担当レベルに過ぎず、最終的にスケープゴートにされた、ということである。 今一つは、マスコミの報道(およびインターネット上の投稿など)が極端に偏り、結果的に世論操作に近いことが行われた。言論の自由と、それとは裏腹な「言論による暴力」を考えさせられる問題であったということである。 マスコミの取材攻撃は人権侵害に近い。小保方氏は当時の様子を次のように書いている。 「研究者としての成長をずっと見守り育ててきてくれた恩師たちでさえ、こんなふうに言うのかと、ひどく傷つき、悲しいと感じるより先に、ただただ涙がこぼれた。 みんなで決めた悪には、どんなひどいことを言ってもやっても許される社会の残酷さ。尊敬していた著名な研究者たちからのマスコミを通じて伝えられる糾弾、それに乗じた有象無象の辛辣なコメントは、体のあらゆる感覚を奪っていった。」 「高圧的な調査委員会の様子を見ると、理研が私を守ってくれそうにないことは明らかだった。・・・この頃の私は食べることも眠ることもできず、ストレスで起き上がることもできなくなってしまっていた。激しいバッシングの報道がひたすら続き、家族からも泣きながら電話がかかってきた。家族に辛い思いをさせていることも本当に辛かった。無意識のうちに「死にたい」と何度もつぶやくようになった。」 |