組織(企業組織やプロジェクト組織)のマネジメントにおいて、法令遵守や倫理は極めて重要なテーマである。
ラッシュワース・M・キダー著、中島茂監訳、高瀬恵美訳「意思決定のジレンマ」は、倫理的判断が求められる問題に遭遇した時の、原理、原則を研究した書籍である。本書の内容には若干冗長なところがあるように思うが、倫理的判断が求められるケースを具体例をあげて解説している。
最近メディアなどで報道されている事件をあてはめて読み進めるのも面白い。実際にあてはめてみると、必ずしも本書のパラダイムにあてはまらないものがあるようにも感じる。
以下、最近の事件などとあわせて本書の内容の一部を概観する。
判断・意思決定を求められる問題には、「正」対「悪」の構図に還元される問題と、「正」対「正」に還元される問題とがある。
「難しい選択」は、「正」対「悪」の選択で起きるのではなく、「正」対「正」の選択で起きる。このような「正」対「正」のジレンマは以下の4つのパターン/パラダイムに分かれるという。
・「真実」対「忠誠」
・「個人」対「社会」
・「短期」対「長期」
・「正義」対「情(慈悲)」
2015年6月、神戸市須磨区で発生した連続児童殺傷事件の加害男性が書籍(手記)を刊行した。この書籍の扱いをめぐって、書店(および図書館)の対応が割れた。
当該図書は取り扱わないと決めた書店や図書館は、遺族への配慮に欠ける(勝手に出版したことで遺族の心情を逆なでしている)ことを主な理由にあげている。一方、取り扱うと決めた書店の主な理由は、言論の自由は守られるべきであり、本書の内容にも何らかの意義が認められるはずだとしている。
あなたが書店のオーナーだったら如何なる意思決定をするだろう?
取り扱わないと決めるのも正しいように見えるし、取り扱うと決めるのも正しいように見える。この事件は「正」対「正」のジレンマに見える。
(4つのパターンのどれに当てはまるかは、今ひとつはっきりしないが・・・)
「言論の自由」や「表現の自由」をめぐっては、しばしばこの種のジレンマが起きる。
シャルリー・エブド襲撃事件(2015年1月)をめぐっては、イスラム教に対する冒瀆だという意見と、表現の自由だという意見が対立した。
4つのパターンに当てはまらない「正」対「正」のジレンマに、価値観(文化)の違いによるものがあるように思う。
2015年5月、水族館のイルカの入手方法(和歌山県太地町での追い込み漁)が倫理規定に触れるとして、世界動物園水族館協会(WAZA)が日本動物園水族館協会(JAZA)の会員資格を停止するという問題が起きた。この問題をめぐって、国内の水族館の意見・意思決定が割れた。WAZAの勧告に従う水族館と反対する水族館である。
最終的にJAZAがWAZAの勧告に従ったため、反対した水族館はJAZAの会員であり続けることを断念した。
ここには、知能が高いイルカの追い込み漁は残酷だとする意見と、昔から日本ではイルカを食する文化があったとする意見の対立がある。
これは価値観(文化)の違いであり、立場によってどちらも正しいように見える。これと同じ問題が、中国陝西省の犬肉祭り(犬の肉を食する祭り)である。イルカや犬に限らず、国や地域、宗教の違いから、ある種の動物を食したり、あるいは食することをタブーとする例は他にも多く存在する。
「正」対「正」のジレンマを解決に導く「意思決定の原理」には以下の3つがあるという。
①結果(帰結)主義
起こりうる結果を想定して、最大多数の人々にとって善となる行動を選択する
②規範主義
行為の結果ではなく、従うべき最高の規範、普遍性のある規範に従って行動する。例えば、いかなる場合も真実を語る(うそを言わない)といった規範である。
③配慮主義
自分が他人にしてもらいたいことを、他人にも行うという黄金律。世界の主な宗教には、この考え方が存在するという。(何事でも自分がしてもらいたいと思うことを、他の人にもそのようにしなさい)
倫理的に、あるいは遵法上も正しい行為が行われなかった事件に、日本年金機構の情報漏えい問題がある。
2015年5月、日本年金機構の情報系システムから約125万件の年金情報が漏洩した。この事件の原因の1つは、個人情報ファイルに対してパスワードをかける社内ルールがあったにもかかわらず、多くの職員がこのルールを守っていなかったことにある。
なんと、パスワードが適切にかけられていたファイルは全体の1%未満であったという。
さらに、この個人情報の管理をめぐる内規の調査に対し、虚偽の報告があった可能性も浮上している。こうなると、赤信号みんなで渡れば怖くない、状態である。
本書によれば、「遵法上、倫理上の正しい行為」が実現するためには3つの条件があるという。
①本人、②周辺者、③企業文化、である。
①「本人」
行為者本人の資質。本人が常日頃正しい行為を実践し、そのことに満足感を感じていること。
②「周辺者」
本人の同僚や部下や上司など周辺者が、本人が正しい行為を選択し、実践したいという姿勢に同調できる人々であること。例えば、本人が不正(例えば原産地の偽装)をやめるべきだと進言したのに、上司が「いいからやれ!」というようでは不正は防げない。
③「企業文化」
企業文化は正しい選択をする時の力強いバックボーンとなる。
昨今のニュースを見ても、データーの捏造や粉飾決算など、不正が組織的に行われていたと思われる事件は多い。
不正が行われない(行われ難い)組織を築くには、倫理的に正しい行為を行うことが企業文化になるまで、継続した取り組みが必要になるということだろう。
本書ではさらに、「企業の様々な問題が『個人の存在を超えたはるかに大きな無責任』によって生じる」ケースが指摘されている。
監訳者はその一例として、2005年大阪で107名の犠牲者を出した脱線事故をあげている。
本件の問題点の1つは、本来安全設備ATSを設置すべきであったのに、これを怠ったことである。裁判所は、これは鉄道会社、すなわち組織の責任であるとした。そして組織の責任は特定の個人には及ばないとして、鉄道本部長については無罪を言い渡した。
「現代の法律はあくまで『個人の責任』を追及することを前提としてできており、『組織の責任』を追及するようにはできていない」
「しかし、現実の世の中を見ると、1人1人は多少注意深さに欠ける程度であるものの、その個人個人の不注意が積み重なって『組織』として深刻な事故を起こす例は少なくない」と指摘している。
先ほどあげた年金情報漏えい問題にも、セキュリティ対策に対する組織的な問題(セキュリティ対策の欠如あるいは不備)があったと考えられる。
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