E・F・シューマッハー「スモール・イズ・ビューティフル」
E・F・シューマッハー著「スモール・イズ・ビューティフル」は、化石燃料資源の枯渇が近いこと、それに起因して石油危機が到来すると予測したことで有名である。 本書の主張の根幹をなすのは、近代の経済学や科学における諸問題の分析と、問題に対する対応策の提言である。著者は経済学や科学の問題点として、物質至上主義あるいは唯物主義(タダモノ主義と解すべきか)と巨大技術信仰をあげ、その根本原因は人間の貪欲と嫉妬心にあると説いている。本書の中でシューマッハーは「仏教経済学」という考え方を提唱している。この思想の背景には、シューマッハーがマハトマ・ガンディーの思想に傾倒した時期があることが関係しているようだ。 しかし、ガンディーはインド古来の宗教であるヒンドゥー教やジャイナ教、そしてキリスト教にも理解を示していたようであるから、ガンディー思想を短絡的に仏教と結びつけるのはいささか乱暴だろう。 そもそもインドにおいては、仏教はヒンドゥー教という一種の宗教文化に吸収されたというのが定説のようである。従って、仏教経済学の仏教とは、仏教やその他のインド思想、もう少し広くとらえて東洋思想の価値観を取り入れた、というほどの意味だと思う。 良く知られているようにガンディーは非暴力(アヒンサー)を提唱した。多くの人は、非暴力と経済学に如何なる関係があるのか疑問に思うに違いない。 経済学では全ての財は金銭的な価値で測られる。例えば、工業生産に不可欠な電力エネルギーは、水力や火力(石炭、石油)、あるいは原子力などから得られるが、どのエネルギー資源が有利かは金銭的な価値、すなわちコストで決まる。コストが一番安いのが石油であれば火力発電が選ばれる、という具合である。 しかし、仏教経済学では、エネルギーを選択する時の尺度ないしは価値観はコストだけではないと考える。より重要な尺度は、再生可能か再生不可能かという尺度である。 再生不能な燃料資源は、地域的分布が偏っており、総量(埋蔵量)にも限界がある。それをどんどん掘り出していくのは自然に対する暴力行為だといえる。 非暴力とは、このような自然環境に対する暴力の排除を指している。 経済学は科学的アプローチ(実在する対象を客観的に捉え、そこから普遍的な法則を導く方法)を採るが、経済活動には人間の意思が介在するから、物理法則のような普遍性があるかはいささか疑問である。 シューマッハーの指摘は現在の日本にもあてはまりそうだ。 |
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