カンニングとプログラミング教育

「キーワード 現代の教育学」(東京大学出版会)に、カンニングに関して面白い話が出ていた。
カンニングとは、テストのときに他人の回答をのぞき見したりする、あの不正行為のことである。
「学校において”カンニング”と呼ばれている活動の多くは、家庭でも友人間でも普通にみられる支えあい、助け合いである」
これは、Dreebenという人の指摘だそうだ。
家庭でも友人間でも、あるいは会社においても、分からないことがあれば知っている人が教える、という行為はごく普通にみられる。ところがテストのときにはこれらの行為は不正行為とみなされる。
そんなの当り前だ、と思われるかもしれない。私も今までは当たり前のこととして、これについて深く考えたことなどなかった。
しかし、ここには重要な視点がある。それは、知識を私有財(私的所有財)とみるか、共有財とみるかの違いである。
知識を私有財とみれば、他人の知識を無断で盗む(あるいは借用する)のは不正行為になる。知識を私有財とみることによって、そこから競争(テスト成績での競争)が生まれ、ひいては(学校知の習熟度合いの差から)各種の格差が生じるとする見方である。
知識を共有財とみなせばこのような問題は起こらない。しかし知識をすべて共有財とみなすことは現実社会(自由主義経済)ではあり得ない。
たとえば特許などの知的財産権を考えれば明らかである。知識(知的財産)は企業の私有財であり、それが当該企業の強みになり、当該企業に利益をもたらす。
市場経済と「知識を共有財とみること」には相反する面があるといえる。

しかし、ソフトウェア業界には知識を共有財とみる動きもある。いわゆるオープンソースである。
オープンソースとは、プログラムのソースコードをインターネット上に公開して、誰もが自由に無償で、複製や改変、再配布などができるようにする仕組みである。(正確にはライセンスの違いによって利用条件や制約にバリエーションがある)
オープンソースは、その開発スタイルにも特徴がある。プログラムが完成する前からソースコードを公開することで、外部の識者から、プログラムの不具合や新しいアイデアに関する助言をもらうことができる。
このように多くの人の知見を得るやり方は、学校教育におけるグループ学習に通じるところがある。
問題発見能力や問題解決能力を高めるには、他者の意見を聞くことも大事である。ブレーンストーミングのように参加者が意見を出し合うことで新しいアイデアが生まれることもある。
学校におけるプログラミング教育が、問題解決能力や創造力を育成することを目的とするのであれば、グループ学習のような形態が望ましいと考えられる。他者との協同や世界との共生という観点は学校教育でも重要であろう。(これは、新学習指導要領における「主体的・対話的で深い学び」のなかの、「対話的」で深い学びに相当する)

カンニングが不正行為になるのは、知識を私有財とみなし、個々人における学校知の習熟度を判定するためのテストにおいてである。
しかし、人間の知的有能さはその人が持っている知識の多寡だけで判定できるものではない。「デジタル教材の教育学」(東京大学出版会)には、知的有能さに関するヴィゴツキーの言説が引用されている。
「人間の知的有能さは社会・文化的な実践の中において、人間の外界に存在する人工物(道具・記号・言語・制度・規則など)を利用し、他者と共同することを通して達成される」
本書によれば、1990年代以降、学習を個人的な知識や技術の習得ではなく、社会的なものとしてとらえる考え方、(社会的構成主義)が広まったそうである。

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