2020年 3月 17日

いま(2020年3月)、世界は新型コロナウィルスに関するニュースで溢れている。
そして、ついに、WHO(世界保健機関)のテドロス事務局長は「新型コロナウイルスはパンデミックと言える」と述べ、世界的な大流行になっているとの認識を示すまでに至った。
日本では、大型クルーズ船内の集団感染が大きなニュースとなった。大型クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」には、4000人近い乗客・乗員が乗船していた。このクルーズ船内で新型コロナウイルスの感染が急速に広がった。感染者は乗客・乗員の2割にのぼり、7人が死亡した。(3月1日時点)
新型コロナウィルス感染が拡大するなか、書店ではアルベール・カミュが1947年に発表した「ペスト」が多いに売れているという。これは、猛威を振るう伝染病ペストと、その感染拡大を防ぐために街が封鎖される状況が、新型コロナウィルスをめぐる今回の状況と似ているためだという。
ここでは船内感染との類似から、石川達三の「蒼茫」を取り上げてみたい。 

「蒼茫」は昭和10年に第1回芥川賞を受賞した石川達三の出世作である。この小説は次の三部で構成さている。
「第一部 蒼茫」は、昭和5年、ブラジルへの移住を希望して全国から集まった農民たちが、神戸にある国立移民収容所に集合し、移民船「ら・ぷらた丸」に乗船するまでの8日間の滞在を描いている。
「第二部 南海航路」は、 ブラジルへ向けて航行する「ら・ぷらた丸」における、45日間に及ぶ船内での出来事を描いている。
「第三部 聲なき民」は、ブラジルに着いてから入植するまでの数日間を描いている。
幸い、「ら・ぷらた丸」の船内では感染症が拡大するような事件は起きなかったが、この小説には、同じ目的を持った移民船の船内でコレラが拡大した事件のことが書かれている。

「1928年頃に移民船ハワイ丸がホンコン寄港後移民のなかにコレラ患者が続出し、死亡者が出る度に移民の家族構成は続々として崩れ始め、シンガポールでは入港を禁止され、遂に日本に戻ってきた大事件もあった」
この事件は「はわい丸コレラ事件」として知られている。Wikipediaによれば、
「1928年(昭和3年)3月17日、神戸を出港した「はわい丸」は長崎、香港、サイゴンを経由して31日にシンガポールに到着。4月1日、シンガポールを出港してコロンボへ向かったが、出港して4時間が経った時、船内でコレラ患者が発生。発病者が続出したことと、船医が過労で病床の身であったことから船長はシンガポールに引き返すことを決め、3日に再度入港し検疫錨地に停泊した。
再度入港した「はわい丸」は、ただちに英国人防疫担当官の指導により厳重な消毒を受け、船客と乗組員全員にはワクチン注射と検便が施された。罹病者は、港外のセント・ジョーンズ島の隔離病棟に移されて治療を受けた。」
「当時の「はわい丸」には一等が10名、三等が772名、船員118名が乗船。三等船客のうち580名は契約移民で、そのほとんどは同年の2月に完成した神戸の国立移民収容所が送り出した第1回の移民だった。患者数は諸説あるが、53名というのが有力で、そのうち17名が死亡した。」とある。
Wikipedia では船が日本に戻ったという記載はない。
「(ハワイ丸は)30日間の長い停泊の後、5月2日、保菌者8人とその家族7人を当地に残して、南米へ向けて再び出帆した」ようだ。

小説には同様の事件としてマニラ丸のことも記載されている。
「マニラ丸は先年サイゴンでコレラを積み込み20数名の死者を出しシンガポール沖に碇泊したまま1ヶ月も動けなくなり、遂に神戸へ戻った」
蒼茫の舞台となる「ら・ぷらた丸」は、今日の豪華なクルーズ船と異なり劣悪な船内環境であったから、新型コロナウイルスの感染と比べるのは無理があるかもしれない。それでも、船内感染と船内隔離による長期停泊など似ている点が多い。
蒼茫を読むと、当時の小作農家が如何に疲弊していたか、そして、ブラジル移住に一縷の望みをかけた農民たちの貧しい暮らしぶりが浮かび上がる。
移民希望者は、北は北海道・東北から南は九州まで、日本全国から集まっている。そして、多くの移民希望者は故郷の田畑や家財を整理して 神戸にある国立移民収容所に来ている。
すなわち、彼らは故郷に戻っても暮らしの当てがない、後には戻れない追い詰められた状況にあった。しかし、移民希望者たちが望みを託したブラジルは、彼らの希望を裏切る状況にあった。
珈琲園の労働は日本の農家に劣らず苦しい。マラリヤや毒虫の脅威があり、医者のいる部落はほとんどない。さらに、ブラジルでは珈琲の生産が過剰な状況にあり、珈琲豆の市価が暴落、年期契約の労働者の賃金は低下していた。
このような状況にあっても移民会社は移民を募集し、外務省は旅券を発行していた。多くの移民希望者はそのような状況とは知らず、ブラジルが地上の楽園であるかのように思っていたようだ。
このことに関連して小説には「ヴェノス・アイレス丸の事件」のことが書かれている。
ヴェノス・アイレス丸 に乗船していた移民達は、帰国途中にあった移民から「サンパウロ州では労働賃金が低下したために邦人移民は食っていけなくなった」という話を聞く。これを聞いた1千名の移民たちは、船を日本に戻せと船長に要求した。

国立移民収容所に集合した移民希望者は健康状態を審査され、合格した者だけがブラジルへの渡航を許された。移民希望者のなかには病気のものが多くいたが、移民会社は移民を多く送り出したかったから大抵は合格になったようだ。
「ら・ぷらた丸」に乗船した移民約953名のうち、トラホーム患者は182名、肺炎患者1名、栄養不良1名、腎臓炎1名、耳下腺炎2名、インフルエンザ31名、妊娠中の婦人16名、とある。
トラホーム患者はブラジルへの入国ができない条件であったから、船医はかなり乱暴な治療を用いて病気を隠していた。(それでも、ブラジルに着いてから日本に送り返される事例もあったようだ)
また、ブラジルでは脚気は伝染病と同じ扱いで入国禁止になっていたから、これは腎臓炎と偽っていた。「ら・ぷらた丸」 に乗船した移民の最年少は生後3カ月の乳児であったが、規則では6カ月未満の乳児は不可となっていたから、これも年齢を偽って乗船したのだろう。

ブラジルへの日本人移民に関して、日経新聞( 2014/6/5付)に以下の簡単な紹介記事が出ていた。
「1908年6月に最初の移民約800人を乗せた「笠戸丸」がブラジル南東部のサントスに入港して以来、戦前・戦後を通じて約25万人が渡ったとされる。戦前の移民の多くはコーヒー農園で働いたが、個人や団体で土地を購入して自営するケースが増えた。戦後も1973年まで日本からの移民を乗せた船が出航した。
日系人は現在、政治経済から文化まで様々な分野で活躍。勤勉さや教育熱心さで知られ、ブラジル人が日本を好意的に捉える要因になっているとされる。」

 

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