酒井邦嘉「チョムスキーと言語脳科学」

「チョムスキーと言語脳科学」(酒井邦嘉:著、集英社インターナショナル)で、著者は自身の研究目的を次のように記している。
「チョムスキーの企てを証明する一つの方法は、人間の脳に存在する『文法装置』を実際に見つけて、その働きを解明することだ」
本書には、チョムスキーの言語理論と、その理論を脳科学によって実証する試み(研究の成果と取り組み状況)が書かれている。チョムスキーと言語脳科学
本書で著者が繰り返し強調しているのが「チョムスキーの言語理論はサイエンス(自然科学)である」という点である。これこそが従来の言語学とは一線を画すところであり、チョムスキーの言語理論の革新性なのである。
チョムスキーは言語(自然言語)を天体の運行などと同じ「自然現象」だと考えている。自然現象であるから、そこには現象を支える「自然法則」が存在する。著者が指摘しているように、脳に「文法装置」があり、それが自然法則に従っているとすればこれは画期的な発見であろう。自然法則に従っている、ということがどういうことかというと、あらゆる自然言語には共通する秩序(いわゆる普遍文法)があり、それは遺伝情報としてヒトが生得的に獲得している能力だということである。
普遍文法を生得的な能力として有しているがゆえに、英語を母語とする幼児は英語を獲得することができ、日本語を母語とする幼児は日本語を獲得することができる。
(言語の獲得と言語の習得は区別して使われる。言語を臨界期(5~6歳)までに獲得することを「言語の獲得」といい、臨界期を過ぎてから言語を習得することを「言語の習得」という。(「はじめて学ぶ言語学」ミネルヴァ書房)より)
なお、進化論的に見れば、ヒトの言語能力は「選択圧とは関係しない」突然変異によって獲得したものだそうだ。 

著者の研究分野である「言語脳科学」は1990年代後半に誕生した、まだ新しい研究分野のようだ。いわゆるインターディシプリナリー(学際研究)ということだろう。
言語学に関わる学際研究の分野には、上記のほかに、言語心理学(心理言語学)や言語社会学(社会言語学)などがあるようだ。
また、言語学はAI(人工知能)のなかの自然言語処理とも関連する。著者は言語学とAIとの関係について次のように述べている。
「”自然言語処理”という人工知能の主要な一分野は、当初は言語学の成果を取り入れて発達したにもかかわらず、その後袂を分かつこととなり、いまだ融和の兆しが見えない」
著者は、現在のAIのアプローチ(話し言葉や書き言葉を大量に集めたコーパスを統計的に分析するやり方)には限界があり、句構造や普遍文法などの知見を取り込まない限りこの限界は乗り越えられないと論じている。

普遍文法が具体的にどのようなものなのか(例えば、どのようなアルゴリズムなのか)、私は良く知らないが、少なくとも次の二つの原理があるそうだ。
・木構造で枝分かれの生じる節点では、下に主辞が必ず含まれる。
・木構造で枝分かれの生じる節点では、 二股の分岐が必ず生じる。

本書のなかで私が興味深いと感じたのは、「再帰性」に関する考察である。
著者は「再帰性は言語機能、そして人間の本性を特徴づけるものである」と指摘している。数学における再帰性の一つにフラクタル構造があり、言語の木構造もフラクタルな構造を有するという。
フラクタルな構造は自然界にも多く見られる現象である。「再帰性」に関しては、その他の書籍(あるいはその他の分野)でも言及が見られる。
乾敏郎は、言語獲得と理解のモデルのなかで、47野には再帰結合があり、閉じたクラスの単語を系列的に一時保持しているのではないかと推測している(「脳科学からみる子どもの心の育ち」ミネルヴァ書房)。
「宇宙は壮大な入れ子構造をなしている(フラクタルな構造)」という指摘もある(「物理学と神」池内了)。
IT(情報技術)の分野には、プログラム(あるいは関数)の「再起呼び出し」というものがある。
再起呼び出しをサポートしている代表的なプログラム言語がLISPである。この再起呼び出しというのは、なかなか理解が難しい(と、私は思う)。特に手続き型言語に慣れ親しんだ人は、最初とっつきにくさを感じるのではないだろうか。
このようなことから、人間の思考は再起呼び出しには向いていないのではないかと思っていたが、再帰性が人間の本性に関わるというのであれば、むしろ人間の思考に適合しているのかもしれない(?)。

本書を読んで個人的に気になっていることは、「意味理解との関係」、「意識、無意識との関係」、「作動記憶との関係」、「内言語と普遍文法との関係」である。
(以前のブログ記事でも書いたように、現在のAIは言葉の意味を理解できないと言われていることから)それでは、意味を理解する仕組みはどのようなものなのか(どのようなアルゴリズムなのか)? が問題である。
本書によれば、チョムスキーは意味論(言葉の意味について論じる言語学の分野)が、科学にはなり難いということを繰り返し述べているそうだ。
さらに、「チョムスキーが統辞構造論で一貫して述べてきた理論は完全に形式的であり、意味には依存しない」と書かれている。
これからも明らかなように、今のところ「意味を理解する仕組み」は未解決課題のままのようだ。
乾敏郎は、文の意味理解にはミラーニューロンが関係していると述べている(「脳科学からみる子どもの心の育ち」ミネルヴァ書房)が、この点も良く分からない(・・・結局、私にとっては謎のままである)。

人間の脳に「読解中枢」や「語彙中枢」があるとして、これらと「意識、無意識」との関係はどうなっているのだろう。
「意識と脳」(スタニスラス・ドゥアンヌ、紀伊国屋書店)によれば、単語の意味解釈は「無意識のレベル」で処理しており、より高次の処理(例えば文脈への適合など)は意識のレベルで行っているようなのだ。
単語には複数の意味を持つものがあるが、複数の意味(意味候補)を含めて無意識のレベルで「並列的」に処理しているらしい。一方、意識レベルの高次の処理は直列処理である。
読解中枢は意識だけに関係しているのだろうか? そして、語彙中枢は無意識だけに関係しているのだろうか?
それともこれらは複雑に絡み合っているのだろうか?

作動記憶と「文法中枢」、「読解中枢」などとの関係も良く分からない。作動記憶は、一時的に記憶する(メモリーとしての)機能のほかに、何らかの処理も担っているようなのだ。文法中枢は作動記憶とは連動しないのだろうか?(文法中枢の一部の処理が作動記憶側で行われるようなことはないのだろうか?)

本書には「内言語(思考言語)」のことが少しだけ書かれている。私たちは、思考するとき日本語で考えているように感じる。よって、内言語(思考言語)も日本語の「ようなもの」だと推測するのだが、そうだとすると普遍文法と何らかの関係を有するのだろうか?

ヒトの言語機能に関する科学的解明はまだ緒に就いたばかりのようだ。(チョムスキーの言語理論も発展途上のようである)
人間の知能の基礎になるのが言語だとすると、AIが人間の知能を超えるなどという話は、随分と先の話に思えてくる(その道のりには、まだまだ多くの未解決課題があるように感じる)。
一方で、「AIの知能が人間を超えるとき」という類の話が、未だにメディアで取り上げられている現状はいかがなものか・・・探れば探るほど違和感を感じる。

 

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