風野春樹「島田清次郎 誰にも愛されなかった男」

2023年8月17日

島田清次郎という作家の名前を知ったのは、外山滋比古「思考の整理学」を読んだときである。外山滋比古氏は次のように紹介している。
「いま、島田清次郎という小説家のことを知っているのは、近代文学を専門にしている研究者くらいであろう。その『地上』(大正8年)という作品が天下の話題になったのを知る人はもうほとんどなくなろうとしている。島田清次郎は大正の文学青年からみて、まさに天才であった・・・・」
忘れ去られた「天才」に興味を持ち、青空文庫を調べてみた。
島田清次郎の作品は青空文庫に3作品があるが、既存出版社からの復刻版などは皆無のようだ。外山氏の言うとおり、今や島田清次郎を知る人はほとんどいないのだろう。島田清次郎の生涯を知りたくなり、「島田清次郎 誰にも愛されなかった男」(風野春樹:著、本の雑誌社)を読んだ。島田清次郎 誰にも愛されなかった男
この本は著者(風野春樹氏)が精神科医という、少々異色の評伝である。その理由は、島田清次郎が、その短い生涯の後半を精神病院で送ったことに由来する。
この本の裏表紙には、島田清次郎の生涯の概要が書かれている。
「20歳で小説家デビュー。処女長編『地上』が空前のベストセラーに。一躍文学青年たちのカリスマとなり、『地上』は全4部作で50万部を売り上げた。だがその傲岸不遜な言動が文壇で疎まれるようになり、一方ではスキャンダルを起こし一般的な人気も急落、原稿が出版されることもなくなった。
放浪の果てに早発性痴呆(現在の統合失調症)と診断され25歳で精神病院に収容、入院中に肺結核のため死去した。享年31歳。」
波乱万丈の短い生涯に興味を持たれた方も多いのではなかろうか。

本のサブタイトル、「誰にも愛されなかった男」という部分が気になるが、本書を読んでその意味がわかった。
このサブタイトルは、島田と同じ石川県出身の先輩作家、加能作次郎の著作「島田清次郎君のこと」からの引用である。
「要するに彼は誰にも愛されない男だった。そして常にその愛に飢えていた」
島田清次郎が愛されなかった理由は、主にその性格と振る舞いにある。清次郎の性格を要約すると、傲岸不遜(驕り高ぶって人を見下す)、誇大妄想、自己中心的、と言えるだろう。
清次郎の性格のうち、自意識過剰な点を端的に表しているのが作品「早春」のなかにある以下の問答だろう。
「お前はなんだ。文学者か、預言者か、革命家か、政治家か、哲学者か、いったい何者だ」
「―」
「答えろ!」
「俺は、俺は、― 俺は島田清次郎だ!」
また、清次郎は文壇の先輩諸氏を「〇〇君」と君付けで呼んで見下していた。女性に対しては一方的に愛情を押し付け、相手の感情をほとんど顧慮しない。さらに、内縁の妻や母親に暴力を振るう(今日でいうDVである)・・・。
この本を読むと、島田清次郎の性格や態度の悪い面ばかりが目に付く(実際そうなのだろうが)。私には、清次郎が他人との関係を上手く構築できない、コミュニケーション障害のように見える。著者(風野春樹氏)によれば清次郎は「自己愛性パーソナリティ障害」に該当するそうだ。
私は、文学青年というと、内向的、自省的で繊細な精神を持つ人間をイメージするのだが、本書を読んだ限りでは、島田清次郎にはそのようなところがほとんど見られない。そのような人間が本当に文学作品を書けるのだろうか?
それとも、実は島田清次郎にも繊細で小心な面があるのだが、それを隠すために豪放で傍若無人な振る舞いをしていたのだろうか?
どうも良く分からない・・・。

「島田清次郎 誰にも愛されなかった男」 を参考に、島田清次郎の生涯を(おおまかに)追ってみる。
島田清次郎は明治32年(1899年)美川 (現在の石川県美川町)に生まれる。一人っ子で、父親は清次郎が2歳の時に海難事故で他界。稼ぎ手である夫を失った母親の「みつ」は父親の八郎に助けを求めた。
やがて母親と清次郎とは「吉本楼」という遊郭の店の一角を間借りして暮らすようになる。母親のみつは裁縫などをして糊口を凌いでいたようだ。
清次郎と母親との関係は、清次郎の精神面を分析するうえで重要な要素になるようだ。著者(風野春樹氏) は、清次郎は生涯母離れができず、母親もまた子離れができなかった、と分析している。
母親は一時再婚するが、再婚相手と清次郎との確執などから、結局清次郎との二人暮らしに戻っている。

中学校時代、清次郎は赤倉和嘉代に恋をする。赤倉和嘉代は、「地上」のヒロイン和歌子のモデルになった女性である。清次郎よりも2歳年上で、進歩的で姉御肌の女性だったようだ。
金沢商業学校を(半ば自主的に)退学した清次郎は、その後職を転々としている。どんな仕事に就いても長続きしなかったようだ。この原因も、清次郎の性格や、対人関係の拙さにあったと思われる。
職を転々とするなか、清次郎は「地上」の創作にとりかかる。そして、大正8年(1919年)「地上」が刊行される。無名作家の作品が刊行されたるに至った背景には、生田長江の推薦があったようだ。(別の書籍によれば、生田長江は文壇に新風を送る目的で、あえて新人を推薦していた節がある)
作品が発表されると名だたる評論家が絶賛して、やがて「地上」はベストセラーになる。
この作品を最初に高く評価したのは堺利彦である。これからも分かるように、清次郎は社会主義者に接近しているが、深く関わることはなく一定の距離を保っていたようだ。
「地上」は、高い評価がある一方、「あまりに幼稚なところが目に付きすぎる」など、厳しい評価をする人もいたようだ。

島田清次郎の傲岸不遜な態度が災いし、文壇における彼の評価は急速に低下する。デビューしてから1年の段階で、文壇はすでに清次郎に対して作家としては二流という評価を下した。
「相変わらずの幼稚な誇張の多い作文小説」、「作者の目が独りよがりに浮ついている」、「自己優越感を振りかざしたようなところが鼻につく」、「雄弁の弊として自分で自分の言葉に酔う癖がある」・・・など散々な評価だ。
しかし、清次郎は当時の10代、20代の若者にとってカリスマ的存在だったようだ。今日と違い、テレビもスマホもない時代だから、小説(出版物)の影響力は今日よりも遥かに大きかっただろう。
清次郎のもとには沢山のファンレターが届いていたようだ。清次郎との文通をきっかけに、清次郎は小林豊と結婚する(入籍はしていないので内縁の妻)。先にも触れたように、清次郎は豊に暴力を振るっていたようだ。
これが原因で、豊は清次郎が洋行中に故郷である山形に帰り、二度と清次郎のもとには戻らなかった。

清次郎の人生は、大正12年(1923年)のスキャンダル(令嬢誘拐事件)をきっかけに転落していく。この事件は、清次郎が海軍少将舟木錬太郎の次女舟木芳江(19歳)を強姦、強盗、誘拐、不法監禁した、とするもの。
清次郎はマスコミからも世間からも糾弾される。しかし、そもそも芳江が清次郎の愛読者であり、清次郎に熱烈な手紙を送っていたことなどが明るみに出ると、マスコミの報道は芳江に対するバッシングへと変わっていった。
この事件以降、清次郎にはぱったりと注文が来なくなる。刊行予定であった「釈迦」という長編も出版中止に追い込まれた。生活苦に追い込まれた清次郎は、文壇の知人を頼って転々とするうち、大正13年(1924年)巣鴨の路上で不審人物として警察に連行され、巣鴨の精神病院「保養院」に強制入院させられる。
以後31歳で死亡するまで保養院で生活することになる。
当時の医師の鑑定では、破瓜病(早発痴呆 (のちの統合失調症) の代表的病型)と診断されている。著者(風野春樹氏) の調査によれば、入院中も清次郎は創作を続けていたようだ。
著者は、「最晩年になると清次郎の書いた文章も、健康に見えるものと明らかに病的なものに二分されるようになっていく。まるで正常と異常、二人の清次郎がいるようだ・・・」と分析している。
「島田清次郎は本当に天才だったのだろうか? そして本当に狂人だったのだろうか?」著者は、清次郎は天才ではなく、あくまでも時代の寵児だったと評価している。

最初に、「島田清次郎 誰にも愛されなかった男」を読んでしまうと、正直なところ清次郎の著作を読む気が失せてくるのだが、「地上 第一部 地に潜むもの」について少しばかり感想を書いてみたい。
この作品は、清次郎の経験を踏まえた小説である(創作部分も沢山ある)。主人公(大河平一郎)が吉倉和歌子と相思相愛になるところは現実とは異なる創作部分である。平一郎が和歌子に送ったラブレターに対して、和歌子が返した手紙がたいそう熱烈である。
「・・・ほんとうに、わたしはあなたの”あれ”でございます・・・」
”あれ”が何なのかは良く分からないが、随分と都合の良いストーリー展開である。しかし、これが清次郎の願望を記したものだと考えれば納得がいく。この小説は、清次郎の実体験を踏まえた願望、「こうありたい」を書いているのだろう。
平一郎は大川村の宗家に生まれるが、家が没落して母と二人貧困生活を強いられる。平一郎は貧困であることに著しい劣等感を抱いている。
「偉くなる。政治家になってこの不幸な世を救いたい」これが平一郎の志である。
物語りの後半、平一郎と母親のお光は天野栄介という男に出会う。平一郎は天野の援助を得て上京し、M学院(明治学院)に通学する機会を得る。しかし、天野はお光にとって憎むべき男なのであった。今後の平一郎の成長と天野との関係に期待を持たせるストーリー展開だと思う。

なぜ、堺利彦は「地上」を高く評価したのだろうか?
この作品には、自由民権思想を青年に浸透させるための政治結社「自由社」の話や、遊郭で働く遊女の悲劇などの挿話があるが、・・・それほど深遠な思想や問題提起があるようには読めない。

「地上」の第一部(地に潜むもの)は青空文庫で入手できる。第二部(地に叛くもの)と第三部(静かなる暴風)はAmzonからKindle版が安価で入手可能である。しかし、第四部(燃ゆる大地)はKindle版には見当たらないので、古書を探すしかないようだ(決して安い値段ではない)。
今のところ、私はそこまでして読みたいとは思っていない・・・。

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Posted by kondo