乾敏郎「感情とはそもそも何なのか」

「こころと脳」、「意識と脳」について書かれた本はいくつか読んだが、「感情と脳」について書かれた本を読んだのは本書(乾敏郎 著「感情とはそもそも何なのか」 ミネルヴァ書房)が初めてである。「こころ」も「感情」も実体がなく且つ主観的なものだから、これを科学するのは困難であろうことは想像がつく。
いや、そもそも、「こころ」と「感情」との関係はどうなっているのだろうか? こころは感情を含むより広範な概念なのだろうか?
私は感情のいくつかは本能(生存欲求だとか性欲だとか)に基づくものではないかと、漠然と考えていたが・・・。どうも根本的なところが良く分からない。感情とはそもそも何なのか
本書では、感情の基本的なものとして、六感情や八感情というものが定義されている。さらに感情の二次元モデルや三次元モデルというものも提示されている。
六感情で定義されている感情の六つの基本形は、
「幸福」、「驚き」、「恐れ」、「嫌悪」、「怒り」、「悲しみ」
である。
日本語だと、「喜び」や「悲しみ」といった単語を最初に思いつくが、「喜び」は多分「幸福」のなかの一形態なのだろう・・・?。
さて、ここで気になるのは、日本語の語彙にない感情は表現(記述)が難しいという事実である(これは日本語に限らず母語という意味である)。すなわち、感情は語彙(概念)に縛られている部分があるのではないか、という疑問である。(本書にはこのような議論は無いのだが、個人的には非常に気になる部分である)
細やかな感情というのもある。これなどは、文人や詩人であればいろいろな形容詞を使って複雑な感情を表現するところだ。例えば、「海の底で眠るような穏やかな気持ち(安らぎの一種だろう)」だとか・・・。
このようなことをつらつらと考えてみると、感情を語彙で定義するのには限界があるのかもしれないし、同じ事象でも人によって感じ方は異なるだろうから、まさに主観的である。
とりあえず、ここでは本書の定義に従って、六感情(あるいは八感情)を基本として話を先に進める。 

本書では最初に(ダマシオの定義に従って)、「感情」と「情動」を区別して定義している。
情動とは、「外的刺激や内的な記憶の想起に伴って生じる生理的な反応」であり、感情とは、「情動の発生に伴う主観的な意識体験(本人にしか分からないもの)」である。
ここで重要なのは、情動は客観的に観測可能な生理的反応(汗が出るとか心拍数が速まる、など)であり、感情に先駆けて生起するという点である。
本書には「感情の二要因論」という原理(仮説 ?)の解説がある。これによると、
「感情は、内臓の状態を知らせる自律神経反応を脳が理解することと、その反応が生じた”原因の推定”という、2つの要因で決定される」
とある。すなわち、感情は内受容感覚(内臓感覚)と密接に関係しているようだ。さらに、情動信号の予測信号が感情を決める重要な要因なのだそうだ。
ここでは「予測」や「原因の推定」というところがポイントのようだ。感情だけでなく、知覚や運動も「予測(推論)」が関係している(というのが本書の主張だと思われる)。
すなわち、感情や知覚などは脳にある推論機構(推論エンジン)によって引き起こされる。これは、最近話題の深層学習(ニューロンを模したAIの一形態)のアイデアにも繋がっているのだろう(と推測する)。

本書では、以降、感情と脳の部位(偏桃体や島など)との関係がかなり詳しく書かれているのだが、門外漢の私には理解できないところが多々ある。主観的感情を作り上げるのは脳の島(とくに前島)と呼ばれる部分であり、外界の対象物に対して感情を誘発させるのは、偏桃体と呼ばれる部位のようだ。

本書では、「自由エネルギー原理」と呼ばれる仕組みが重要なテーマの一つだ。自由エネルギー原理は、フリストン(Friston)が2005年から2010年の間に、脳の情報処理の統一理論として構築したものである。(これを見ても明らかなように比較的最近の理論(仮説?)のようだ)
自由エネルギー原理の観点から知覚と運動を定義すると、
「知覚とは、感覚信号の予測誤差を最小化するように予測信号を修正することにより、感覚信号が生起した原因を推論すること」であり、
「運動とは、目標となる状態の自己受容感覚を予測信号とし、それが達成されるように反射弓を駆動させること」である。
このように、知覚と運動はいずれも「予測誤差を最小化する」という点が共通しているが、その方法が異なっている。知覚は、(ヘルムホルツの)無意識的推論によって得られ、運動は(フリストンの)能動的推論によって得られる。
ここで、予測誤差を最小化するということは、自由エネルギーを最小化することに相当し、かつ、それは帰納的推論において事後確率を最大化するというベイズ推論に相当するそうだ。
(私を含め一般読者には)専門用語が多くて分かり難いと思うので、感覚信号と知覚について(本書の具体例に沿って)若干補足する。
具体例として目の前の物体を知覚するという行為を考える。私たちが目の前の物体を見るとき、網膜には2次元の像が写る。しかし私たちの脳は物体を3次元で知覚している。
網膜に写る2次元の像が「感覚信号」である。脳はこの感覚信号を入力して、3次元の構造を「推論」している。すなわち、「知覚」とは与えられた情報(感覚信号)から、その原因を推定することだといえる。このとき、事後確率(最終的な3次元構造の推定)が最大になるように推定するそうだ(最大事後確率推定)。
先に記したように、事後確率を最大化するということは、予測誤差を最小化することに相当する。
ここまでの記述を振り返っても明らかなように、本書では感情や知覚(そして運動)の仕組みが、科学的、数学的に論じられているから、正直なところ私のような素人にはなかなか理解できないのである・・・・。
特に、感覚信号から知覚が生ずる仕組みが自由エネルギー原理で説明できることは分かったが、これと感情とのかかわりが良く理解できなかった(興味のある方は本書を当たってください)、

本書には強化学習についての記載がある。これはAI(人工知能)の分野でいう強化学習と似ている(というか、AIの方がこの考え方を援用したのだろうと想像する)。
強化学習は、行動系列のなかから、得られるであろう報酬が最大になるような行動を選択するための学習である。人間の脳では、この学習に「大脳基底ループ」が使われているそうだ。「大脳基底ループ」は7つ存在し、このうち「辺縁系ループ」と呼ばれるものは感情と密接に関係しているそうだ。

さて、本書を読んで感情を科学的に解明する努力がなされていることは理解できるのだが、なんだかすっきりしない。例えば、同じ事件(例えば自然災害)に出くわしても人によって生起する感情には差がある。悲しみの感情ひとつとっても、人によって強度や感じ方は異なるであろう。これは経験(過去に学習した情報、記憶)が個々人で異なるからなのだろうか?
(裏を返せば)感情を想起させる仕組み(アルゴリズム)自体は同じなのだろうか?
感情を生起させる要因には遺伝的な要因は無いのだろうか(繊細な気質だとか・・・)?
・・・
いずれにしろ、身体(外受容感覚)や内臓(内臓感覚)を持たない人工知能(AI)が感情を持つことは(原理的に)なさそうだ。

 

本のINDEX

トラックバック

このブログ記事に対するトラックバックURL:

コメント & トラックバック

コメントはまだありません。

コメントする

Update

2020年4月
« 3月    
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930  

Navigation