新井紀子「AIに負けない子どもを育てる」

プログラミング教育とは直接関係しないが、プログラミング教育にも英語教育にも影響を与えるテーマ(母語の習得に関わる話題)として「AIに負けない子どもを育てる」(新井紀子:著、東洋経済新報社)を紹介する。AIに負けない子どもを育てる
本書はリーディングスキルテスト(以下RSTと略す)の目的と背景、そしてテストの内容(の概要)を紹介した書籍である。
RSTは著者の研究グループが2016年に考案したテストで、日本語の「基礎的で汎用的な読解力」を測定するものである。RSTは、小学校6年生から大人までが受験でき、2019年からは特定の会場で個人受験も可能だそうだ。
本書にはRSTの「体験版」が載っている。読者は体験版の問題を解くことで、自身の「基礎的読解力」に問題がないか、問題があるとしたらどこが弱点なのかが分かる仕掛けになっている。(私も幾つか間違えたので、このブログ記事の文章にもちょっと怪しいところがあるかもしれない)
著者は前著「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」のなかで、日本の中高生の読解力が危機的状況にあると指摘している。読解力が不十分な状況では、プログラミング教育を導入することなど難しいのではないか、(プログラミング教育以前に、日本語を正しく読む力を養うべきではないか)とも述べている。
日本語を正しく読む力が低下しているとするならば、プログラミング教育に限らず、英語教育にも問題が波及すると考えられる。
外国語の習得においては、母語の能力と習熟度を磨くことが重要だという考え(仮説?)がある。カミンズの「共有基底能力説」では、読み書きの能力は母語からもう一つの言語(外国語)にも転移することが予測されるそうだ。(「はじめて学ぶ言語学」大津由紀雄:編著、ミネルヴァ書房)
私は教育の専門家ではないので詳しいことは良く分からないが、外国語を習得する前段階で母語の能力(正しく読み書きができる能力)を養っておくことが重要だということだろう。
さらに、著者(新井氏)が指摘しているように、読解力が不足していると他の教科でも設問の意味(題意)が正しく把握できないだろうから、この問題は他の教科の習得/成績にも波及すると考えられる。(例えば、単語の穴埋め問題は解けても文章問題が解けない、など・・・) 

RSTでは日本語の読解力を以下の6分野の観点から測定できるよう工夫されている。
・係り受け解析:分の基本構造を把握する力
・照応解決:指示代名詞が指すもの、省力された主語や目的語を把握する力
・同義文判定:二つの文の意味が同一であるか否かを判定する力
・推論:小6までに習う基本的知識と、日常生活から得られる常識を動員して文意を理解する力
・イメージ同定:文章を図やグラフと比べて内容が一致しているか認識する能力
・具体例同定:言葉の定義を読んでそれと合致する具体例を認識する能力

本書に掲載されている体験版も上記6分野から出題されている。
RSTは、もともとはAI(人工知能)の一分野である自然言語処理の弱点や限界をテストするために考案されたようだ。いわゆるベンチマークテストのようなものだろう。
しかし、著者らは想定外の事実に出くわして驚くことになる。それは、AIにとって難しいことは多くの中高生にとっても難しかった、という事実である。
このような背景から、RSTは人間の読解力を測定するためのベンチマークになったようだ。

本書にはAIとRSTとの関係も書かれていて、その内容が興味深い。
AIの自然言語処理は、近年、「係り受け解析」と「照応解決」の能力が飛躍的に向上している。一方で、「同義文判定」は(数十年研究が続けられているが)なかなか精度が上がらないようだ。さらに、「イメージ同定」に至っては、当面AIでは解決できない分野なのだそうだ。
そもそも、現在の自然言語処理は単語の意味や文章の意味を「理解せずに」処理しているようだから、そこに限界があるのはある意味当然のような気がする。(現在の自然言語処理における言語モデルは、言語を確率として扱っている。単語の意味はベクトルにエンコードされるが、意味そのものがエンコードされるわけではない。エンコードされるのは文脈から見た単語の特徴量みたいなものだろう。)
今ひとつAIにとって難しいのは「推論」だろう。その定義にあるように「小6までに習う基本的知識と、日常生活から得られる常識」はAIにとって厄介な問題だろう。
(本書には明確な指摘はないが)認知言語学などの分野でいう「フレーム意味論」の問題である。
「フレームとは、ある概念を理解するのに前提となる知識構造のこと(意味を生み出す母体となる背景知識のこと)」である。(「はじめての認知言語学」吉村公宏:著、研究社)
人は文章を理解するとき、特段の意識をせずに常識的な知識(フレーム)を使用して意味解釈を行っている。一方、AIはフレームを使って言葉の意味や文章の背景を把握することが難しいと言われている。
フレーム意味論を基にしてことばの意味を捉えようとする知識モデルに「理想化認知モデル」というのがあるようだが、現在のAIでは(そもそも意味を理解できないから)これを実装することは出来ないだろう。
この種の問題は、言語学でいう「意味論的決定不十分性」とも関係しているのかもしれない。
「ひとは文を発話することで、その文がコード化している情報量よりもはるかに多くの思考を伝達することができる」  (「はじめて学ぶ言語学」大津由紀雄:編著、ミネルヴァ書房)
話が横道に逸れてしまったが、いずれにしろ、現在のAIの自然言語処理には(原理的に)限界があると考えられる。

私たちは直観的に、日本語の読解力は読書量と相関するのではないかと思いがちであるが、著者らの研究によれば、RSTの能力値と読書の好き嫌いや、読む本の分野との間に、優位な相関関係はないそうだ。
すなわち、読書好きで多くの本を読んだからといってRSTの能力が高まるわけではない。では、どうすれば読解力を高めることができるのか・・・?
このあたりのことも本書に書かれているから、子どもの教育に関心がある方は一読することをお勧めする。(さらに、現在のデジタル教材の問題点などにも言及がある)
子どもの教育に関してはいろいろな論理(仮説)があるようだから、どれが正しいのか私には判断がつかない。(例えば、幼少期の外国語学習を推奨するものや、これとは反対に幼少期には母語を優先すべきだとする理論など・・・)
ただ、ヴィゴツキーの 「発達の最近接領域」理論は教育学の本などに良く引用されているし、直観的にも納得感がある。ヴィゴツキーによれば、
「教育とは、発達の最近接領域(ZPD)に働きかけ、それによって潜在的な発達水準にあったものが、現時点の発達水準へと変わる。またそれによって新たな潜在的な発達水準が生まれる」
「教育とは、子どもの潜在的な水準を見極め、そのうえで現在の発達為水準を促進するような経験の場を用意することである」(「やさしい発達と学習」外山紀子ほか:著、有斐閣アルマ)
子ども一人ひとりの発達水準を見極めて、各人に適したレベルの教育を施すことが重要だということだろう。RSTに関してもテストで弱点が分かっから、その分野(観点)の能力を向上させる対策(はたらきかけ)が重要である。

 

 

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