「ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論」(デヴィッド・クレーパー:著、岩波書店)は、ブルシット・ジョブを解説した書籍である。
「クソどうでもいい仕事・・・」というサブタイトルが随分と過激に思えるが、ブルシット・ジョブとは、実質的に無意味な仕事(むしろ、存在しない方がましな仕事)を指しているようだ。
本書には、ブルシット・ジョブの「実用的定義」というのが書かれているから、最初にそれを引用しておこう。「ブルシット・ジョブとは、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化し難いほど完全に無意味で不必要で、有害でもある有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として本人は、そうではないと取り繕わなければならないように感じている。(自分の仕事がすっかり消え去ったとしても、世の中から何らの価値も失われない)」
この説明を聞いてもピンとこない方もいると思うので、もう少し具体的に示すと、無用な会議や、管理のための管理業務(管理上のペーパーワーク)などを想像すると良いだろう。
私たちIT業界の人たちの例でいうと、(多分)「仕事がないので、無意味にパソコンのキーボードを叩いて、仕事をしている振りをしている」ような状況が思い浮かぶ。
この「無意味にパソコンのキーボードを叩いて」いたり、「仕事とあまり関係のないサイトを覗いている」というのは、多分、IT業界の人たちにとっては「あるある」だと思う(私にも身に覚えがある)。
本書には、「1日7時間30分、パソコンの画面に向かってタイプする振りをしながら座り続けるよう余儀なくされた、時給18ドルのオフィスワーカー」の例が出ている。
ブルシット・ジョブに関して著者が問題視しているのは、近年このような仕事が増加していることと、社会がそのことにほとんど関心を寄せていない点にある(なぜ、ブルシット・ジョブが増加しているのか? なぜこのような事態が公共の関心を惹いていないのか?)。
私が本書を読んで、日本にもあてはまると感じたことは、
「私たちの社会では、はっきりと他者に寄与する仕事であればあるほど、対価はより少なくなる、という原則が存在するようだ」という指摘である。
すなわち、無意味で不必要な有償の仕事が増える一方で、他者にとって必要不可欠な仕事ほど、その対価は安くなるというのだ。
具体例をあげてみる。今回の新型コロナ禍では、看護師や介護士、保育士の賃金が低いことが浮き彫りになった。ゴミ収集人なども同じである。
社会に必要不可欠な、いわゆるエッセンシャル・ワーカーの賃金が、例えばIT業界の人たちの賃金よりも低いという事実だ。
最近の日本では、AI(おもに機械学習)人材やデータサイエンティストに対して、企業が高い給与を支払うというニュースを目にするが、エッセンシャルワーカーの賃金の改正は僅かである。
なぜ、このようなことになったのか? 本書に明確な解は示されていないように感じる(単に私が読み取れていないだけかもしれない)が、ヒントは書かれている。
「経済の金融化と情報産業の発展、そしてブルシット・ジョブの増殖の間には内在的な関係が存在するように思われる」
いまひとつ、本書で指摘されている警句も重要だ。
「人の役に立ったり高潔だったりするような職業を追求しながら、十分なレベルの給与や手当を求める人間は、反感の正当なはけ口となる、という法則」である。
なぜ、ブルシット・ジョブは近年増えているのか?私が思い浮かべたのは「パーキンソンの法則」である。(本書には、この法則に関する記載がないが・・・)
パーキンソンの法則のうち、第一の法則は、「仕事の量は、完成のために与えられた時間をすべて満たすまで膨張する」である。
この法則について、私たちIT業界の「あるある」で考えてみる。
納期の迫ったITプロジェクトを仮定しよう。プロジェクトの現場からは、「残りの作業量が多いため、残業が増えている。要員が全く足りていない」との声があがっている。このようなプロジェクトに対して、プロジェクトの管理者が新規要員を追加したとする。
しかし、プロジェクトの進捗は改善しない。要員を追加してもすぐには生産性があがらない(むしろ低下する)からである。
さらに、このようなプロジェクトでは、管理層や経営層に対する報告が増えることが多い。上層部に対する(あるいは顧客に対する)報告書の作成に時間を取られる(報告書を作成するための追加作業が発生する)。
対策会議と称して(進捗にはあまり役に立たない)会議も増えるだろう。
かくしてこのようなプロジェクトでは無用な仕事の量がどんどんと増えていき、いくら要員を追加しても一向に状況は改善しない(多分、IT業界の「あるある」だと思う)。
日本では、この20年~30年、労働者の賃金が他の先進国と比較してほとんど上がっていない、ということが度々指摘されている。
もっとも、(ロシアによるウクライナ侵攻が始まる迄は)消費者物価もさほど上がっていないからあまり問題にはならなかったのだろう。このような労働者の賃金問題は日本に限った話かと思っていたが、意外なことに、本書によればアメリカも同じみたいだ。
「アメリカにおいて、1970年代以降、生産性の上昇に対して報酬は上昇していない。この生産性の上昇から得られた利益はどこに行ったのだろう?」
本書によればこのような余剰利益は1%の富裕層(投資家、企業幹部、専門的管理者階級)に配分されただけでなく、「全く新しい基本的に無意味な専門的管理者の地位を作り出すために投入されている」らしい。
この指摘が日本にどこまであてはまるのか、私には分からない。いずれにしろ、私たちの周りでブルシット・ジョブが増えていないか? よく観察する必要がありそうだ。 |
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