JR青梅線の昭島駅または拝島駅から拝島大師へ。その後五鉄通りを歩いて阿弥陀寺、諏訪神社へ行き、さらに東中神の目黄不動尊を訪ねる。 |
拝島大師
1月2日、3日に「だるま市」が開催される。
このだるま市は、関東周辺の養蚕農家が繭の出来がよくなるようにと祈願したのが始まりという。
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拝島大師大日堂
天歴6年(952)の創建。
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奥多摩街道を立川方面に進むと「五鉄通り」にぶつかる。
五鉄通りは、旧五日市鉄道の廃線跡。五日市鉄道はJR五日市線の前身であるが、昭和19年、立川~拝島間は青梅線と重複することから廃線となった。
旧五日市鉄道の武蔵田中駅付近には、転てつ器(ポイント)のモニュメントが道路脇に飾られている。
特に説明板などは無く、由来を知らない人は怪訝に思うに違いない。
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旧五日市鉄道の大神駅跡
昭和5年から昭和19年の間、大神駅(無人駅)があった。
線路、鉄道車輪、信号機などが歩道を含む空間に配置されている。
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大神駅跡 |
五鉄通り |
宮澤山 阿弥陀寺
寺の草創は不祥だが、鎌倉時代の末から南北朝時代の頃の創建といわれている。
関東八十八カ所霊場の一つ。
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諏訪神社
阿弥陀寺の、通りを挟んで向かい側に諏訪神社がある。
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諏訪神社の湧水
古来よりこの清泉は「宮社の沼澤(みやのさわ)」と呼ばれ、「宮澤」の地名となった。今も宮沢町の名前で残っている。
東京の名湧水57選の1つ。
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南無黄目不動尊ののぼりが並ぶ八清通り商店街。
八清とは、”八日市屋清太郎”氏の名に由来する。
昭和13年、航空機製造工場などの軍需工場が拡大するなか、工場従業員の住宅や関連福利施設の建設が、八日市屋清太郎氏の手で進められた。
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目黄不動尊
築当山(一説には築地山)眞學寺。
文化8年(1811)の多摩川の大洪水により流出後、現在の地に移住したとのこと。開山、開基、開創ともに不詳。
ここは、江戸五色不動(目白、目赤、目黒、目青、目黄の各不動尊)には含まれませんが、東京都です。
ちなみに、江戸五色不動の目黄不動は、 江戸川区平井と、 台東区三ノ輪の2か所にある。
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JR青梅線の東中神駅は、立川駅から僅か2駅先だが、立川駅周辺が急速に近代都市化の発展を遂げたのに対して、こちらはその流れから取り残されたかのような昭和の町並みが残っている。 |
JR東中神駅のホームには、木製のベンチが残っている。
何とも懐かしい、そして木の温もりを感じさせる光景である。 |
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