大逆事件と高木顕明

大逆事件に関しては多くの研究書が出版されている。そのなかで、田中伸尚「大逆事件 死と生の群像」(岩波書店)は、大逆事件で裁かれた人々と、特に残された家族のその後に焦点をあて、家族や親族が暮らした地を訪ね歩き、丹念に取材を重ねた労作である。
「大逆事件は国家が個人の思想ー自由・平等・博愛ーを犯罪として裁いた、いわば心の自由殺しの事件だった」
1910年当時の日本は、日露戦争の後韓国を併合し、植民地帝国へと暴走を始めたころである。この事件は、宮下太吉が信州・明科で爆裂弾を製造し、天皇暗殺を企てたとみなされたことに始まる。この爆裂弾製造事件に関与したとして、社会主義者や無政府主義者が芋づる式に検挙されていく。
この事件に巻き込まれ、裁判にかけられたのは26人に及ぶ。裁判は非公開で行われ、一人の証人も採用せず、わずか1ヶ月ほどの審理で結審するという異常さだ。

1911年1月、24人に死刑、2人に爆発物取締罰則違反で有期刑の判決が出る。(その後死刑判決の24人のうち12人は恩赦によって無期に減刑されている)
このなかでも特に幸徳秋水は、無政府主義と社会主義の象徴として早くから司法当局に目を付けられていたようだ。

大逆事件は今日から見れば国家による思想弾圧というとんでもない事件であるが、当時の時代背景(神聖不可侵の天皇制や、神道国教化政策、新聞紙条例など)を十分に考慮(学ぶ)必要があるだろう。他の研究書をみると、26名の被告全員が無実の罪で謀殺されたというのは極論であり、幸徳はじめ何名かの言動には天皇制に対する意識的な批判が窺えるとする論もある。
しかし、かなりのでっち上げがあったというのが大方の見方である。
大逆事件で裁かれた人々は国賊とされ、残された家族も累代にわたって汚名を着せられた。残された家族が地元の住民から白い目で見られ、不当な扱いを受けたであろうことは容易に想像がつく。
大逆事件に連座した人々のなかで、唯一地元で助命運動が起きたのは森近運平ただ一人であった。(それだけ地元住民からの信頼が厚かった)

この事件に連座した人々のなかで私が感銘を受けた人物は高木顕明である。この人は浄土真宗(大谷派)の僧侶であり、仏教(他力)の教えを深く学び、そして日常生活の中で実践した人だと思う。
高木顕明は1899年、35才の時に浄泉寺の住職となる。檀家に部落民が居たことから部落差別の解消に取り組んでいる。また、非戦の立場から日露戦争にも反対していた。平等と非戦(平和)の思想を貫いた人である。
この頃の仏教の各宗派は、明治政府が掲げる国家神道を背景に教団の存続が脅かされていたと思われる。このため、真宗(大谷派)に限らず、曹洞宗や臨済宗なども国家に随順する道を選び、戦争にも積極的に協力していたようだ。(神道はもとよりキリスト教会なども国家に迎合していたようだ)
このような時代に、平等と非戦を貫くことがいかに困難であったかは想像に難くない。特に真宗は日清戦争以降「真俗二諦論」を掲げて戦争に協力する立場をとっていたから、顕明は宗派のなかでも危うい立場にあっただろうと思われる。
真俗二諦論とは、仏教の真理と世俗の真理がともに真理として両立するという論理である。戦争は君主に忠誠を尽くす、世俗としての真理であり、道徳的に善であると説いた。
しかし、仏教には不殺生戒があるし、人を殺すことは仏を殺すことに他ならないから、真俗二諦論は矛盾に満ちている。

高木顕明は公判に付された直後の1910年11月に本山から住職を解く差免の処分を受ける。これは、今日の価値観で考えれば不当な処分である。顕明はその後無期に減刑され秋田監獄に収容されるが、1914年49歳で縊死(獄死)する。

高木顕明が残した書はかなり少なかったようだが、本書には(少ないながらも)いくつか載っている。
「余は南無阿弥陀仏は平等の救済や平和や安慰やを意味していると思う」
「極楽世界には他方の国土を侵害したということも聞かねば、義のために大戦争を起こしたということも一切聞かれない。よって余は非開戦論者である。戦争は極楽の分人の成すことでないと思うている」
「この闇黒の世界に立ちて救いの光明と平和と幸福を伝導するは我々の大任務を果たすのである。諸君よ願わくは我らと共にこの南無阿弥陀仏を唱え給い。今しばらく戦勝を弄び万歳を叫ぶことを止めよ」
力強い言葉である。顕明は南無阿弥陀仏の称名に平等と非戦の誓いを込め、そしてそれを実践した。

高木顕明と真宗について、いまひとつ驚くべきことがある。それは、彼が真宗大谷派から追放されたのち、その名誉を回復するまでに85年もの歳月を要したという事実である。
顕明が宗門から永久追放されたのが1911年、大谷派が顕明の復権を表明したのは1996年(平成8年)である。真宗大谷派が自派の戦争責任にも目を向けるようになったのは1980年代のことだそうだ。
それにしても人々の意識や価値観、考え方が変わるまでには、これほど多くの時間が掛かるのだということにあらためて驚く。

大逆事件で裁かれた僧には高木顕明のほかに、臨済宗の峯尾節堂と曹洞宗の内山愚童がいる。また、幸徳秋水や堺利彦など、大逆事件や赤旗事件に巻き込まれた人たちの文書(の一部)は青空文庫で読むことができる。幸徳秋水の「死刑の前」は、文字通り大逆事件の判決後、死刑を前にした秋水の心境を綴った書物である。
この本を読むと、意外なことに、死を前にして秋水の心は殊のほか穏やかであったことが分かる。死刑を前にして人はこれほど落ち着いていられるものなのか、・・・驚かされる。秋水は仏教や老荘思想にも通じていたと思われるから、彼はある種諦観の境地とでもいう心持ちであったのだろうか。
以下、「死刑の前」より秋水の心境を抜粋する。
「わたくしは、死刑に処せられるべく、いま東京監獄の一室に拘禁されている」
「今のわたくし自身にとっては、死刑はなんでもないのである。私がいかにしてかかる重罪を犯したのであるか。その公判すら傍聴を禁止された今日にあっては、もとより、十分にこれを言うの自由をもたぬ。百年ののち、たれかあるいは私に代わって言うかもしれぬ。いずれにしても、死刑そのものはなんでもない。これは、放言でもなく、壮語でもなく、飾りのない真情である。」
「死に面しては。貴賤・貧富も、善悪・邪正も、知恵・賢不肖も、平等一如である」
「病死と横死と刑死とを問わず、死すべきのときがひとたびきたなら、十分の安心と満足とをもって、これにつきたいと思う。いまやすなわち、そのときである。これが、わたくしの運命である。」

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