吉村均「チベット仏教入門」
河口慧海「チベット旅行記」を読んで、もう少しチベットの仏教事情を知りたいと思い、吉村均「チベット仏教入門」(ちくま新書)を読んだ。 チベットの仏教は、日本の仏教と同じく大乗仏教の思想を基礎にした北伝仏教であるから、大きな意味ではどちらも同じ教えである。(一方の南伝仏教は上座部とも呼ばれ、阿含経典のみを使う) (大乗仏教の思想として)ナーガールジュナ( 龍樹 )の「中論」を重視している点なども日本と同じようである。チベット人の考えでは、ディクン・カギュ派と日本の真言宗は祖を同じくする教えになるそうだ。 河口慧海師も「チベットの新教派の仏教は確かに我が国の正統派の真言宗と一致している」と記している。チベット仏教の特色であり、かつチベット仏教を学ぶ(修行する)うえで、作者が繰り返し注意しているのは、「正しい師から直接教えを受ける」ということである。書物(文字)を通して学ぶのではなく、師から直接指導を受けて学ぶことが重要である。 チベットの密教で灌頂と呼ばれている儀礼は、言葉を介さずに境地を師から弟子に直接伝えるものである。これとよく似た教えが日本の禅にも見られる。(禅に関する書物を読むと)禅には 師資相承という言葉がある。これは師と弟子とが完全に一体となって仏法を正伝することであり、灌頂と通底するところがあるように思う。 道元禅師は正法眼蔵の「礼拝得髄」の巻で、修行するときには導師を得ることが最も難しい、導師に出会って以降は、万縁を投げ捨てて寸陰も無駄に過ごさないで精進し辨道(修行)しなければならない、と説かれている。 「言葉を介さずに」という点に関しては、面白いことに計算機科学者・認知科学者のダグラス・ホフスタッターが、その著書「ゲーデル、エッシャー、バッハ ・・・」のなかで以下の指摘をしている。 「悟りの敵は・・・・言葉による思考である。言葉に頼って真理に至ろうとするのは、不完全な形式システムに頼って真理に至ろうとするようなものである」 チベット仏教の宗派は、ニンマ派(古訳派の総称、古代王国時代に翻訳された教えに基づく)と、サキャ派、カギュ派、ゲルク派である。後者の三派はサルマ(新訳派)に分類される。 有名な「チベットの死者の書」は、バルド・トゥー・ドル(中有における聴聞の解脱)を紹介した書物だそうだ。チベットには、死後も暫くの間瞑想状態を保ち続けるトゥクダムという現象があるとのこと。 本書の巻末には「『グルイズム』とオウム真理教事件」という補足がある。 |
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